almost everyday.

its a matter of taste, yeah

叶っても叶わなくても消えていく叶えばただの現実になり(枡野浩一)

ずいぶん久しぶりの、いいお天気。たぶん2週間ぶりくらいじゃないかしら、こうしてちゃんと日光を浴びるのは。朝からきちんとまっすぐに差し込む光にさらされると、どこがどうというわけではないのだけれど何となくこう、気持ちがしゃっきりするような気がします。他では得られない栄養みたいなものを摂取した気持ちになれるというか、気がついたらほんの少しだけ背筋がのびてるように思える、とか、そういうまるで泡みたいに瑣末なことをたくさん感じとれるコンディションにしてもらえるというか。もっとも、これらは昨夜の眠りが(短いながらも)やたらと深く、それまでの諸々の疲労やなんかをきっちり解消できたからに他ならないのでしょうけれども。そうでなければ、そしてこれが梅雨の晴れ間のめずらしい朝じゃなく真夏のさなかの毎日毎日繰り返される蒸し暑い朝だとしたら、きっとうんざりするだけなのでしょうけれども。求めてもなかなか手に入れることのできないもの、に焦がれるのは普遍的なひとの性、ですよね。たぶん(まるで誰かに同意を求めるように)。

求めても手に入らないもの、の話で思い出したことをひとつ。とある知り合いにきれいな女性がおりまして、本人いわくもうずっと長いこと恋人のいない状態が続いているのだそうです。で、そろそろお年頃だし人並みに結婚もしたいわーってことで相手探しを始めたものの、これがなかなか見つからないのだとか。本人も自身の容姿が平均以上だってことには自覚があって、仕事もできて、それらを踏まえた上で時にはおバカなこともやれたりする一面もあったりして、さらには多岐にわたる趣味を持ち日々を楽しんでいる、という絵に描いたようなパーフェクト女子なわけです。なのに恋人だけができないと。それはどうしてなのかと。そんなことをわたしなんぞに訊かれてもただの自慢としか思えなかったりするのですが(おお、つい本音が)、それはそれとしてわたしなりの考えをいちおうまとめてみました。

上に記したような「女としてはアッパークラス、でも恋人なし」というひとが存在する一方で「女としてはミドルもしくはぎりぎりロウワークラス、それでも何故か男が途切れない」というひとが存在するのもまた事実だったりします。とりたてて綺麗でも性格がいいわけでもなさそうなのに、なんとなく常に恋人がいるというよくわからないひとが。でも、実際のところは、ただ単純にそのひとが「さびしがり」でしかも「惚れっぽい」ていうだけのことなのかもしれないなあ、なんてことを思ったりしました。以下にメカニズム例を示します。

・・・まず第一に、さびしがりのひとは何かにつけて人肌恋しくなりがちなので「誰でもいいからそばにいてよー」という魂の叫びに衝き動かされることがままあるのです、たぶん。そこへ持ってきて男のひとはもの欲しそうな女のひとに弱いですから(たぶん)、「あー、もしかしたらあのひと俺に気があるのかも。うわーどうしよう」みたいな勘違いがいつの間にか好意にすり替わってることもままあるのです、たぶん。そして、相手に好かれてると思い込んでる男のひとは大抵強気っつうかもう無敵ですから、ふられるだなんて危機感は1ミリも持たずに誘いをかけてみるわけです。そうすると女のひとは「わたしを好きになってくれたひと、それがわたしの好きなタイプです」といわんばかりに即やられてしまうんです、たぶん。・・・・・・というのが、わたしの想像してみた「女としてはミドルもしくはぎりぎりロウワークラス、それでも何故か男が途切れない」女のひとのミステリーなのですが。いかがなもんでしょう。

なんで敢えて真逆のケースを先に考えてみたかというと、先のパーフェクト女子にはこうした要素がことごとく欠けてるんじゃないかと思ったからです。まず、間違っても彼女は「さびしがり」なんかではないのでしょう。仕事忙しいし趣味多いし友達も多いし、どっちかって言うとさびしがってる時間がなさそうなイメージです。次に「惚れっぽい」ていうのもまずありえません。なまじ自分の容姿に見合ったプライドを持ち合わせているだけに、それらしい男のひとが視界に入った瞬間から既に「あり」「なし」「問題外」くらいのふるい分けはなされていそうな気がします。このふるい分けはもちろん容姿に限った話ではなく「性格」「教養」「収入」「笑いのツボ」等あらゆる場面において行われるはずなので、とりあえず合格ラインに達する絶対数そのものがごく少数に限られるであろうことが容易に想像できるわけです。仮にすべての合格ラインまで到達できた猛者がいたとして、果たしてその相手がもくろみ通り彼女を好きになるか?というのはまた別の問題でしょうし。

そして最後に、いちばん大きな問題は、実は彼女自身が恋人なんていなくても既に「満たされている」ってところにあるのだという気がしてなりません。恋人なんていなくたって毎日たのしいし充実してるけど、「人並みに結婚くらいしておかないと何だかちょっとかっこわるい」というような思い込みみたいなものにがんじがらめにされてしまってる、というのがいちばん困ったところなのではないかと。これがもし、食欲がないのだとしたらちょっとくらい飲まず食わずでいたって死にはしないしいつかはお腹もすくのだろうし、眠れないのだとしたらそのままずっと起きてればいつかは必ず眠くなるんだと思います、たぶん(わたしにはそういう経験が乏しいので、これらを病として患ってる方には失礼な話かもしれませんが)。それと同列にできる話だとも思えませんが、大まかなところでは恋もたいして変わらないんじゃないかという気がします。落ちるときには落ちるんだから、それなら別に焦る必要もないんじゃないのかなあ。なんて。憎むべきは「女は結婚してなんぼ」みたいな、あるいは「古きよき良妻賢母」みたいな、そういう幻想なんでしょうか。そういう問題でもないのかなあ。おやすみなさい。