almost everyday.

its a matter of taste, yeah

終わりの始まり

朝8時、夫は職場の運動会へ。今週ほとんど毎晩日付が変わってからの帰宅で、それは当然同僚のみなさんも同じ状況で、つまりロクに寝てない状態のメンツが土曜の朝8時に集合して身体を動かすってそれどんな罰ゲーム?怪我人続出するんじゃないか、とひとり密かに気を揉みつつ疲れた背中を見送りました。今朝の空気はひんやりと冴えています。準備運動はしっかりと。
その後一週間ぶんの洗濯ものをまとめて洗ってお風呂も洗って掃除してごはん食べて、それでもまだ9時。あまりにも天気がいいので散歩がてら公園へ。普段は中の仕事ばかりで日光浴など望むべくもないので、こういうことがいちいちうれしく感じられます。よく晴れた日に外で目をつぶると視界がふわっとオレンジ色に染まってさ、それっていうのがまったくのブラッドオレンジ色なんですよ。ねえ?きもちいいなあ。ヘッドホンではoono yuukiとGOMEZとDirty Projectorsをかわりばんこにぐるぐるしてました。お昼ごはんは佐世保バーガー
14時、チネで「パリ20区、僕たちのクラス」。詳細は下のほうで。その後、コートを買いに。最近めっきり肌寒くなって、かれこれ4年くらい着続けてるジャケットを取り出してみたら袖口のあたりがいい感じにビンテージ化しており(単にほつれかけてるとも言う)、同様に7年くらい着続けているダッフルコートもやはり相当くたびれてきてたのを思い出して「これはそろそろ買い替え時か」と重い腰を上げてみた次第であります。あちこち回って悩んだあげく、首まわりがやたらとしっかりしたミリタリーコートを選びました。コート本体は春先まで着られそうな軽さ、もこもこ素材のライナーとファーのフードが取り外せるというのがいいなあと。シルエットは太すぎず細すぎず、着てみた感じはどちらかと言えば青島より達海に近いです。よい買いものをしました。うまく使えば今年はマフラーなしで乗り切れるかもしれないよ。
21時、運動会の後ひとり職場へ立ち寄って作業してきたという夫がようやく帰宅。なもんで、満を持してのはらこめし。彼の心のよりどころである(らしい)軍は残念ながらここで力尽きてしまいましたが、いいじゃないか一度は追いついて粘りと根性見せてくれたんだし。とか何とか言いながら鮭といくらに夢中でわたくしロクに画面を見ておりませんでした。来年は楽天もこの盛り上がりに加われるといいなあ。一度でいいんです。一度でいいから「地元チームが優勝!パレード!」っていう浮かれムードを体感してみたい。そのよろこびをいち市民としてかみしめてみたい。お願いします星野さん。しかしほんとにほぼ内定なのかしら、星野さん。
さて、ここからいちおうたたんでおきます。以下、映画「パリ20区、僕たちのクラス」について。
冒頭、スクリーンに燦然と輝く「パルムドール」の文字。しばらく前に予告編を見た限りでは「つまるところ金八的に感動的な話なのか」と想像しておりましたが、蓋を開けたら全然違ってました。舞台はパリの公立中学校、とあるクラスの担任である国語教師から見た学校生活を追い続けていくという構成。中でも、作品の大半を占める授業のシーンがとりわけ臨場感たっぷりに映し出されていて、客席で映画を見ているはずの自分までもがその場に居合わせているような感覚に幾度となく陥りました。
通常、すべての生徒と教師との間には「年齢差によるジェネレーションギャップ」という壁があり、さらにおよそ半数の生徒とは「性差」という壁があります(男女別学の場合は別ですが)。ここまではふつう。ところが、出身国も生い立ちも違う生徒がひしめきあうこの教室では「言葉」さえもが壁となり、さらには「人種問題」というデリケートな壁までもが立ちはだかるのです。正しいフランス語を教えようと悪戦苦闘する教師、「そんな言葉は過去の遺物」とスラングで一蹴する生徒。そのやりとりさえ理解できない移民の生徒。退屈しのぎに教師の揚げ足をとっては授業を中断させようとするまた別の生徒。そんな描写の連続。いやー、先生おつかれさまです。心の底からそう思いました。
中盤、模範生である中国系の生徒の母親が不法滞在で拘留されたりクラス一の問題児の退学騒動が持ち上がるなどの転機が訪れるものの、いずれも物語に大きなうねりを生み出すには至りません。すべては連綿と続く学校生活の一部。大団円なんて訪れない。それが、すごく、現実的だと思いました。徹頭徹尾ディスコミュニケーション、それがふいに何かのはずみで通じ合った瞬間、どうしようもない悪ガキが心からの笑みをくちびるの端にちいさく浮かべる。川底に沈む砂金がふいに光を浴びて輝くように。しかし、それはあまりにもささやかすぎて、やっとすくい上げたと思ってもすぐにまた指の間からこぼれ落ちてしまう。そういう類のせつなさを感じました。それは教室の中だけじゃなくて、どこにでも存在しうるまっとうな現実だと思う。カンヌではそういうところが評価されたのかしら、などと勝手に考えてみたり。
そういえば、いま思い返してみるとこの映画ではただの一度も音楽が使用されませんでした。エンドロールにおいてさえも。そうだよな、中学校では(国語の授業では)音楽なんて流れないもんなーと、やけに腑に落ちた次第であります。かつて某教育機関の末端で働いていたときのことを思い出して「あのひとだったらこれを見て何て言うかしら」とか、そんなことを考えながら帰途につきました。「どこもそんなもんだよね」と苦笑いを浮かべるのか、それとも「あれよりはマシ」と安心するのか。それとも?ああ、気になる。