almost everyday.

its a matter of taste, yeah

A Dedication

年に一度のしんどいイベント、第二日。危なげなく終了。ザッツオール。やったね終わったわーいわーいと喜び合ったその2時間前、現場は揺れに揺れていました。14時36分、福島県沖、最大震度5弱震源の深さ20km、マグニチュードは6.8。すぐさま津波注意報発令。現場は騒然。「皆、はやく持ち場について!ここはいいから!」という叫び声。
そのときわたしは12階にいて、高層階特有の長い長いストロークに眩暈と吐き気をこらえていました。ああそうか、ワンセグってこういうときに役に立つものだったのか。揺れが去り、津波も到達していないことがわかってからはわりとすぐに平穏が戻りました。が、あの揺れ始めの瞬間の皆の顔を思い出すともう、いけません。不安と怯えと慣れと諦めがないまぜになった表情、度合いは違えど誰もがみな反射的にぎくりとするんです。つらい。こわい。もういやなんです、こんなのは。ほんとうに。
3月の地震のあと、ふと気がつくとよく耳の奥で回っている曲があります。

僕は未だ見ない 僕は分からない
君はどのくらい 悲しい気持ちでいるのか
君はまぶたが腫れて見えるが
それはどのくらい 悲しい気持ちでいるのか
想像もつかない異次元の痛み
僕の友達はそれに耐えてる

僕は分からない
君はどのくらい
君はどのくらい
悲しい気持ちでいるのか
想像もつかない異次元の痛み
僕の友達はそれに耐えてる
  -----シェルター / spiro (from album"om." WKRD-006 2004)

「想像もつかない異次元の痛み」という表現が、とてもとてもしっくり来るんです。ただ単純に痛みが強いわけじゃない。いろんな痛み、苦しみ、悲しみ、他にももっと、誰もが違う痛手を負ってる。その途方もなさが「想像もつかない」「異次元の」痛みそのものなんです。簡単に分かったつもりになられたくない、誰とでも簡単に分かち合えるわけじゃない。という現実に思い当たるたび、打ちのめされたり逆に救われたりしています。おやすみなさい。