almost everyday.

its a matter of taste, yeah

not turn!!!


それでも一応4時には起床。しかしあいにくノンレム睡眠真っ只中だったらしく、見たかったレースの記憶はほとんど全部霞がかって夢うつつでした。無念。それでも試合は生に限るよな、という半ば意地のようなこの心持ちは一体どこから湧いてくるか。自分でもよくわからない。
わからないなりにも思い当たったことがひとつ。自分にもかつてヘボいながらに競技者だった時期があって、当然ながら当時はすべての競技が目の前で行われていたわけです。灼けつく日射しを、風の強さを、迫り来る足音を、吐き出される荒い呼吸を、ただそこにあるものとしてそのままそっくり体感していた。自分にとってはそれがふつうであるが故、他のスポーツ中継には欠かすことのできない演出や編集はおろか実況や解説すらも「邪魔だ」と感じてしまうのではないか。…という気がしてきたんでした。これっていうのはもしかしたら、他のスポーツの経験者にも多かれ少なかれ出てくる感覚だったりするのかもしれないなあと思います。例えば野球の経験者なら、自分のポジションがそのまま記憶の定点になるわけですよね。中継映像とはそもそもアングルが違う、しっくり来ない、みたいなことを感じる人も中にはいたりするんでしょうか。
乱暴なことを言ってしまえば、陸上ほど解説を必要としないスポーツもめずらしいと思います。速く走って高く跳んで遠くへ跳んだり飛ばせたりするやつが勝ちなんだもの。何もかもが一目瞭然なんだもの。そこに何の説明が要る?という話なのです。最低限のアナウンスさえあればそれが一番いいんだけどなあ、というのはもちろん好みの問題なのですが。無愛想なほど素っ気なく淡々と粛々と進めてくれたらめちゃくちゃ燃えます、個人的には。仮にもし、すべての種目が50km競歩くらい放っとかれ感満載で中継されたりしたら、逆に興味をそそるんじゃないかと思うんだかな。分かってるんだ少数派なのは。
終業後、整骨院へ。いつになく大混雑、21時帰宅。女子レスリングの序盤を観戦、沙保里さんの危なげない試合運びを見届けてからお風呂に入ろうとした瞬間、自分が正座していたことに気づきました。いつの間に。
それからようやく食事の仕度、ビールを注いでさあこれからと思ったところで夫も帰宅。とりあえず寝ます。おやすみなさい。