almost everyday.

its a matter of taste, yeah

女の子は比べられるのが大嫌いなの

  • 今週あちこちで目にしたこの問題。社会的に強い影響力を持つ男性が女性を貶める内容の歌詞を書くこと、また名指しされたドラマの解釈が的外れであることなどへの不満が噴出しています。
  • 女の子は頭からっぽでいい、だなんて到底思えない。女であり社会人である身としてそう短くはない月日を重ねてきた実感として、それは無理だろ?という疑問が頭をもたげます。ただ、それだけではない複雑な思いがぐるぐる頭の中で渦巻いて止まらないんです。
  • 田舎に生まれ田舎で育ったわたしの周りの大人の女はそのほとんどが専業主婦、あるいは家事育児の傍ら農作業に従事しており、夫あるいは家長である舅に従属していました。わたしが幼かった頃はまだ「女なんか大学にやったって何の意味もない」みたいな感覚はそこいらじゅうにゴロゴロしてたし実際にそう言われたこともあるし、それをねじ伏せてまで成し遂げたい勉強を見つけることもできなかったわたしは高校を出てすぐ就職しました。97年の春のことでした。
  • 就職先は田舎のわりに進んだものの考え方をするところで、職務も給与も概ね男女一律でした。力仕事も夜勤もしたし、出先で怒鳴られたことも一度や二度ではありません。それらはすべて当然のことでした。当時も今も。
  • ただし。職務上「男性を立てて敬えば、あらゆる物事がすんなり丸く収まる」といった場面があるのもまた事実です。そしてこれは、ややこしいことに「女を武器にして男にすり寄り物事を有利に進めようとする」というアプローチとは似ているようでまったく異なるものなのです。
  • 例えば年配男性からの「ああん?女?バカにしてんのか?話のわかる偉いやつ呼んでこい」というクレームに対し、男女平等を説いたところでなんの意味も為さないばかりか火に油を注ぎかねません。相手の主張をすばやく見極め、適切な対処法を選ぶ必要があります。「女だし非力だし重たいものとか持ちたくな〜い。男子ー!よろしくー♡」みたいなのとは根本的に違います。前者はリスク回避であり、後者はただの責任回避です。しかしこの「重たいもの」がどう考えてもキャパオーバーで職務に支障を来たしかねない場合などは、必要に応じ救援を求めるなどの判断が不可欠となります。これは責任回避ではありません。リスクの分散です。
  • これらの経験則を踏まえた上であらためて考えてみると、いかなるときも正論をふりかざし、女性の地位向上を訴えることは現実的に困難であると言わざるを得ません。差別を受け流してでも最適解を求めるべき場面はいくらでもある。それを「女の敵は女!」みたいに咎められてしまうとしたらあまりに切ない、立つ瀬がないと感じてしまうわけです。
  • この辺りの感覚に近いものとして以下、僭越ながら橋本治さんの文章を引用させていただきます。

「自分が兵隊に行って、人を殺さなければならなくて、自分も殺される可能性の中にいるんだよ」と、その当時に同じ年頃の女子学生に言ったら、怪訝な顔をされた。「この人は、なにバカなことを言ってるんだろう?」みたいな顔をされたのは、「反戦」というものが当たり前の場で、そんな時代だったからだが、彼女の怪訝は、「反戦というものが当然の前提としてある中で、あなたはなぜ自分をわざわざ”兵士でもありうるもの”などと規定するのか?」というところにある。女に「兵士になる」という前提なんかなかった時代だから、そういう「男としての根源的な恐怖」を理解出来ないのは仕方がないし、また私も、「そういう発想って女にはないでしょう」と言ってしまうからいけないのだが、実のところ私は、そういう当時性を欠いた反戦のスローガンにぴんと来ない。「戦争はいけないといわなければいけない」というのもまた、私にとっては「男なら戦争に行かなければならない」と同種の、有無を言わせない強制で、恐怖なのだ。
ああでもなくこうでもなく / 橋本治 No.81(広告批評2004.APR)より引用

  • 「頭からっぽでいい」を許さない社会は、18歳で学ぶことをやめたわたしの決断を受け入れてはくれないでしょう。「誰かに助けてもらえばいい」を許さない社会は、都合よく男性を矢面に立たせ楽をする女としてわたしを糾弾し、リスク回避と責任回避の違いを聞き入れようともしないでしょう。「ママになるまで子供でいい」に関しては、それを社会が許そうが許すまいが「貴様いつまで子供でいる気だ」「役目を果たせ」とわたしに詰め寄ることでしょう。
  • 秋元側にも反論側にも当てはまらないわたしのようなはみ出し者は、どちらの論調が主流になろうとも身の置き場がなく、宙ぶらりんな存在でしかありません。最悪、つまはじきにされることもあるでしょう。仮にもし社会がどちらか一色に染まってしまうとしたら、それは、とてもとても息苦しい。
  • 賢くあろうと努める女も、頭からっぽであることを良しとする女も、どちらでもなく中途半端なままの女も、自分でそれを選んだのなら堂々と胸を張っていい。その多様性が許される社会であってほしい。許されないならせめて自分は柳の枝のようにしなやかでありたい、と願います。人にされたくないことは、人にもしてはいけないから。個人の意見です。

https://m.youtube.com/watch?v=YUfPOqCuQGA

  • 8時起床、テレビをつけて余震の頻度とその大きさに暗澹とするなど。遠く離れた北のこの地で、いち個人にできることなどたかが知れています。現地に思いを馳せること。余計な負担を増やさないこと。より具体的な援助。できることなら、いくらでも。
  • 夫は職場のトラブル対応で月曜まで出張とのこと。現地へ発つ前にあの萩野町のおいしいパンをどうしても食べたい、と言い募るので10時のオープンきっかりに店まで車を走らせるの巻。まさかこうまで魅了されるとは想定外でした。そんなに好きか、湯捏ねコッペが。
  • 午後、夫を見送った後はぶらぶらと散歩。朝食がわりに毎週仕込んでる甘酒用の麹を切らしてしまったので、散歩がてら荒町通りの佐藤麹味噌醤油店まで。明日はこれで一週間分の甘酒を仕込みます。美味しくできるといいな。
  • 復路はトラストタワーのやまやで酒を仕入れつつ、朝市で野菜をたんまり買い込んで帰宅。野球は熊本地震のため安全性を考慮して中止とのこと、賢明な判断と納得してます。どうか、すべてが、少しでもうまくいきますように。おやすみなさい。