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its a matter of taste, yeah

ドルフィン・ソングを救え!

ドルフィン・ソングを救え!

ドルフィン・ソングを救え!

  • 樋口毅宏著「ドルフィン・ソングを救え!」を読みました。本書が話題をさらったのはもう1年以上も前のこと、なんで今?とは自分でも思うけど、もとより滅多にハードカバーを読まない文庫待ち勢としてはこれでもわりかし早いタイミングだったりするのです。今回は電子書籍のセールとポイント失効期限が購入の主な動機となりました。電子書籍ストアはたまにこういう大盤振る舞いがあってうれしい。ありがたいです。
  • というわけで、まずは本作の簡単な説明を。時は2019年、とある元オリーブ少女(45歳)が服薬自殺を図るもなぜか1989年にタイムスリップしてしまい、かつて青春を捧げた二人組「ドルフィン・ソング(≠フリッパーズ・ギター)」を不幸な事件から救うべく奔走する…という話です。現実の89年と3人のフィクションが交錯するため実在の人名や事件がバンバン出てくるし、分かる人には分かる歌詞の引用もそこかしこにあふれてる。そりゃ話題にもなるだろうよと思いました。にもかかわらず、読後感が全然すっきりしないどころか変なもやもやが残るのはどうしてなんだろう、とも。
  • 45歳の主人公は1989年から2019年の間に起こった様々な出来事を体験として記憶しており、タイムスリップ先の世界ではその知識を存分に発揮することでかつて見た夢を次々と現実のものにしていきます。渋谷系というカルチャーが過去からの膨大な引用とコラージュで成り立っていたことを思えば、未来の記憶がどれほど大きな武器となり得たかは想像に難くありません。アイドル(偶像)として崇めてきた相手との知識合戦を制し、同等のセンスを持つ者として認められる喜びは、きっと天にも昇るほど甘美なものでしょう。
  • ここだけ読んだら「ファンの痛い妄想」「青春のやり直し」「荒唐無稽」「ご都合主義」とこき下ろすだけで溜飲を下げられそうなものなのに、それじゃ全然足りないように思えてくるどころか怒りにも似た気持ちがふつふつとわき上がってくるんですよね。おかしいな。少なくとも歌詞の引用に関しては、あ〜これわかるーなんつって膝を打ちながら読んだはずなのに、どうしてこんなにイライラしてるんだろう。
  • そんなわけでひとしきりあれこれ思いを巡らせた結果、イライラの理由らしきものとして浮かんできたのは「引用が中途半端なこと」「著者が男性であること」「自分が女性であること」の3つでした。
  • まず「引用が中途半端なこと」。前述のとおり引用だらけの本作は、その性質ゆえそもそもが読者を選ぶものであると言えます。しかしながら、ネタそのものはまあまあベタかつオーソドックスで、音楽を熱心に聴く人であれば年齢男女の別なく基礎知識として頭に入っているようなものが多いのです。それがどうしても鼻についてしまう。「いやね、俺はもっといろいろ詳しく知ってるよ?でもさ、君ら、本気出したらついてこられないでしょ?だから手加減しといてあげるからね」って高をくくられてる気がするんです。いやいや、そこは手加減すんなよ。全力で本気出してかかって来いよ。もっと細かく、もっと執拗に、引用に引用を重ねまくってニコルソン・ベイカーばりに大量の注釈をつけてみろよ、それが渋谷系への誠意じゃないのかよ、などと喧嘩をふっかけたくなってしまう。
  • 思うに。それっていうのは、「著者が男性であること」と決して無関係ではない気がするのです。71年生まれの樋口さんは、19年には48歳。まさしく世代ど真ん中。本作連載時の掲載誌がブルータスだったことを思えば、主人公は(同じマガジンハウスから発行されていた)元ポパイ読者の48歳男性でもよかった、むしろそっちのほうが共感を得られたのではないか。でも、そうはしなかった。主人公が48歳フリーター男性じゃシャレにならないと判断されたのか、他に何らかの理由があったのかは分かりませんがとにかく、物語は3歳年下の元オリーブ少女に託されました。その姿は、どうしても、青春のやり直しを託す著者の分身ではなく、物語を動かすための御しやすい駒でしかないように映ってしまうんです。何て言ったらいいんだろう。愛着や思い入れのようなものがあまり感じられないというか、前述の引用の浅さも、語り手である主人公が女性ならつじつまが合うとか都合良く考えてない?そういうあれこれひっくるめて、女をちょっとバカにしてない?と穿った見方のひとつもしてみたくなるんです。
  • つまり。樋口さんは、このファンタジーを主人公の女性に背負わせている。自分が生きたかった過去を託すのではなく、語り部として物語を成立させるための容れ物として支配している。そうすることで「これは俺の願望じゃないから」と、まるで他人事みたいに突き放したつもりでいる。主人公と作者の間に距離を持たせて、いかにも冷静に客観的にこれを書いたように見せている。でも、本当はそうじゃないですよね。今でも認めてもらいたいですよね。憧れの人に、その取り巻きに、あるいはいっそ誰にでも。冒頭のカフェ女のくだり、あれが本心ですよね、きっと。あの部分がいちばん切実だったもの。魂の叫びだったもの。
  • そんな脛に傷持つ女をあんなふうに担ぎ上げて喜ばせることで「オリーブ少女、ていうか女なんてだいたいみんなこんなもんでしょ?」「元ネタなんて本当はどうでもいいんでしょ?」って言われてるような気がしてしまったんですよ、わたしは。そもそも当時オリーブ読んでなかったし、パーフリ後追い世代だし、ジャパン的に言うならば漁村でピチカート聴いてた勢なもんで、引用以外で共感できる要素なんぞかけらもないはずなんですよ。それなのに、ただ「自分が女性である」というだけで流れ弾に当たったような気持ちなんですよ今。ちくしょう。なんかすっごい腹立ってきたぞ。勝手なルールで勝手なところに線を引かれて「ここからそっちは認めないから」って勝手に値踏みされたような気持ちですよ。女ってだけでざっくり括ってくれてんじゃねえよ。抱かれたいとか思ってねえよ。曲がよくて歌詞がよくて、ただそれだけで好きになっちゃいけないのかよ。
  • ふいー。怒りにまかせてつらつら書いてたらやたらと長くなってしまいました。わたし全然フェミとかじゃないし、どっちかっていうと保守的なところで生まれ育ったし、男社会で長年働き続けて来たこともあってうっかりすると男性寄りの思考に傾いてしまいがちなほうだと思ってたんですよ、自分では。だから知識でマウントを取られると反射的にかちんと来るし、そこに性差という本人の意思や努力でどうにもならない要素を絡めてこられたらもう無理だなってことなんだろうなと思った次第です。長い。長いよ。ここまでで既に3千字超えてるよ。ひいい。
  • 最後にひとつ、発売当時にこれを読む気になれなかった理由を述べておしまいにします。包み隠さず打ち明けるなら自分の場合、どうにもこうにもフォントがしっくり来なくて、店頭で数ページめくっただけでもうダメでした。内容云々以前にまず、その違和感が先に立って読み進める気になれなかった。いや、これ、まじめな話、ゴシック系だとやけに安っぽく見えませんか?そんなことない?そこら辺すべて織り込み済みのディレクションだとしたら、これはもうお見事と言うより他にありません。見事にふるいにかけられました。電子書籍リーダーでならさしたる違和感もないな、と油断して手に取ったらこのザマですよ。なんてことだ。
  • 最後の最後にもうひとつだけ。樋口さん、ヴィーナスペーターに何か恨みでもあるんでしょうか。あの名前にはびっくりしました。一字違いって!こちらからは以上です。おやすみなさい。