almost everyday.

its a matter of taste, yeah

本当に確かだったのはいったい何でしょうね

  • 昨夜たまたまクローズアップ現代を見かけて、ふと思ったことがあります。アラウンド30とか40とかいう和製英語が登場してから、早いもので既に10年あまり。言葉の意図や概念はまあ、おおむね理解しているつもりです。が、それらを短くアラサーアラフォーと略した途端に発せられるこの、尋常ならざる薄っぺらさは一体どうしたことだろう。と常々不思議に思ってました。さらにアラフィフに至ってはもう、字面からして救い難いほどまぬけであるばかりか語感の良さすら放棄してしまっているではありませんか。これがアラ還ともなると、一周回って突き抜けた感が逆に格好良さげに思えて来ないこともないのだけれど。唐突に漢字が出てくる開き直りも含めて。
  • 思うに。曲がりなりにも30年40年50年の月日を重ねて生き長らえてきたという事実の重みに対して、言葉の響きがあまりにも軽いのです。頭からっぽのバカがいかにも喜んで連呼しそうな、いい歳こいた浅はかな中年の軽はずみ感がすごい。さらに始末の悪いことには、時間と事実の重たさから何とか逃れるべくせめて語感くらいは軽くしとこう、という若作りの悪あがき的往生際の悪さすら漂ってくるわけですね。端的に言って、ださい。広告業界の思惑に訳もわからず漫然と乗せられてる感、ひたすらださい。「アラサーちゃん」等、その居心地の悪さを自覚的に己へ向けているケースに関してはこの限りでないけれど。
  • というわけで、他人はさておき*1自分に限って言うと、生来の頭の悪さをこれ以上つまびらかにするのは御免被りたいという理由から、これらの略語をなるべく口にしないよう心がけているっつう話でした。単に三十路とか40代とかそういう言葉に言い換えてる。だからどうしたという話ですが。
  • ちなみに。40代を表す言葉に限って言えば断トツに格好いいのは「不惑」一択でほぼ間違いないと思うのですが、あまりにも迷いがなくて潔いのでこれはこれで軽々しく口にするのが憚られます。なんて言ったらいいんだろう、モノクロフィルムの中で仲代達矢笠智衆あたりが重々しく宣言してそうな厳かさを感じるというか。背後に轟く効果音は地鳴り、もしくは岩に砕け散る荒波。そういうイメージ。つまりは畏れ多い。そうは言っても40代、いつかはもろもろ惑わなくなれる時が来るんですかね。信じられない。
  • 先発は古川。祝・連敗脱出、そしてプロ初勝利。初回から幾度となくピンチを迎えながらもホームは踏ませない粘りのピッチング、5回まで投げて1失点8奪三振(!)。5回ツーアウト1,3塁でマギーに打順が回ってきたら、そりゃもう継投やむなしだろうと思ってました。が、ここで勝負して投げ勝った瞬間にはなんかもう感極まってしまい、ぼたぼた泣けて仕方なかったという話。向かいの席でうとうとしてたおじさまが目ぇひん剥いてたよ、驚かせちゃってごめんなさい。
  • 茂木の値千金の先制ツーラン、ウィーラーのファインプレー、田中のタイムリーと光る場面もいろいろあってよかったです。少ないチャンスをものにできる試合というのは良いものですね…。おめでとう、古川。おやすみなさい。

*1:賢そうなひとが軽い調子で使うぶんには、相対的にうまくバランスが取れて親しみが持てるのかもしれません