almost everyday.

its a matter of taste, yeah

誰も知らぬ

おふろあがり、気分よくつめたいものを飲んで、音楽を聴きながら、肌触りのよいバスタオルにくるまって何も考えずにぼーっとしているのが好きです。とてもしあわせ。でも、たまに何かの拍子でいきなり現実に連れ戻されたり、あるいはふと普段の自分が急に遠く感じられて思いもよらず狼狽させられるはめになったりするので注意が必要、かもしれません。大切なのは、きっと、何も考えないこと。本当に難しい、これって。

カポーティの短編がすばらしいのは、登場人物たちの名前がことごとく格好いいからです。少なくとも、わたしはそう思います。彼の物語には少なくとも、アジアの小さな島国の英語の教科書に出てきそうな人物名はただのひとつも見つけることができません。それはまるで水晶玉に映し出された夢物語のように、クールで都会的で洗練されています。水晶どころか、水の中で見る景色のようです。ゆらりと動いて輪郭をぼやかし、掴もうとしても手が届かない。現実味というものが、まったく感じられないのです。・・・それはきっと、わたしが山育ちだからなのだと思います。いい意味でも、わるい意味でも。

いまここにいる自分と、頭の中の自分とが、ぱっきりふたつに分かれてしまう瞬間というのがあります。今日の、今から5分ほど前がちょうどそうでした。自分にとってはさほど珍しくもない出来事なのだけど、あるとき当時のダーリンにそれを話してみたところ「うそでしょ?やばいよ、そんなんダメだよ!」と力いっぱい否定されてしまって少々へこんだりもしたこともありました。そんなことはどうでもいい、大事なのは今だよ!自分。だめだ、うまい言葉が浮かんでこないや。これはまた別の機会に。おやすみなさい。