almost everyday.

its a matter of taste, yeah

LOVESICK

カトーの新鮮果汁ここ数日というもの、どうにもこうにもカトーサルサエクスペリエンスな気分が持続しています。基本的には直球シンプル、しかし若干ひねくれ入ってなおかつタメの効いたリズムを叩き出す、というバンドサウンドがとても好きです。要は、可愛いだけじゃダメってことよ。純粋さ、ただそれだけをアピールしたがる音にはどうしても嘘臭さがつきまとうように思えて仕方ないのです。あ、ただし天然は別ですけども。あれは一生治りません、きっと。数日前に書いたashなんか正にその典型で、歳を重ねるにつれ徐々に憂いが増してしまってさらに切なさ炸裂しまくり、というドン臭いほどの生真面目さがまたたまらないのですよ。そろそろ新譜、出ないかなぁ。シャーラタンズは年内リリースらしいので、すごく楽しみ。うふふ。
このところ何年かは雑誌も読まずライブからもめっきり足が遠のいて、ましてや海の向こうのニューカマーなぞチェックする気力さえ起こらなくなりつつあります。要するに、音楽を聴くという行為に注ぎ込むエネルギーそのものの絶対量がどんどこ落ちてきたというわけなのですが。それでもやっぱり、かつて気も狂わんばかりに入れ込んでいたひとたちのことはやっぱり忘れられないようで、それはちょっとうれしいようながっかりするような複雑な気分だったりします。だってなー、大人になったら誰もがみんな、拳を握って兄弟船とか歌うもんだと思ってたのですよ。天城越えとか北の宿からで涙するもんだと信じきっていたのです。いや、冗談じゃなくて!それがわかって初めてオトナになれるのだ、とさえ思っていました。それはきっと幼少時のわたしの周囲にそういうオトナがたくさん居たからなのでしょうけど(末っ子どうしの両親なので、年配の親類がものすごく多いのです)、そういうイッツ・ノーザンジャパニーズの家系にあってロケンロウ好きな自分というのはもしかしたらちょっとした突然変異だったりするのでしょうか。それともやっぱり、ある時期を境にコブシの人へと変貌を遂げることになるのかなぁ。うちのおとうやんがそうだったのと同じように。未来の自分がちょっとだけ楽しみなような怖いような。どうなることやら。

仕事のあと、部屋へ戻ってしばらくぶりでお風呂にカビキラーしてみたらすごーく気分がすっきりしました。むしゃくしゃしたときはやっぱり、掃除にかぎるな。うんうん。清潔な匂いに満ちた浴槽で、ふわふわとあてもなくいろんなことを思い出したり考え込んだりするのはとても幸せなことだと思うのです。たっぷり汗をかいた後のビールがまた、美味いこと。もう一本、飲もうかな。うふふ。