almost everyday.

its a matter of taste, yeah

living in TOKYO LIFE / Hi-5

living in TOKYO LIFEとにかく不安だったのです、実際に聴いてみるまでは。聴きたいけれど何だか怖い、そんな気持ちで発売の日を待っておりました。

不安の発端は、前アルバムにさかのぼります。「リ・スタート」と輝かしい言葉を掲げているのに、その音にはどこか不安の影がちらついているように思えてなりませんでした。音に憂いがへばりついていると感じました。音や言葉をむずかしくひねくりかえす癖がついてしまったような気がして、少し悲しくなりました。それでも一度、新レーベルを立ち上げてのスプリットシングル"ability"を聴いたときにはいくぶん不安も和らいだのです。高揚感溢れるメロディ、飛び跳ねるパーカッション、それに何より"I am feeling fine"という歌詞。ああもうこれで青の季節は終わったのだな、と思っていたのに、その後あらためて訳詞を読んだらふたたび悲しくなりました。「僕はいい気分」という詞は決して額面どおりの意味ではなく、「ちっぽけな存在だけど」という否定が込められていたのです。あああ、それじゃあの高揚感はただのやけっぱち?開き直り?そんなんだったら悲しすぎるよ、これじゃもうすぐ解散しちゃうかもしれないなあ、ていうかそろそろ好きでいられなくなっちゃいそうだな。そういうわけで不安がどんどん募ってきたのでした。カウントダウン試聴の曲すら聴けないくらいに。

で、いよいよ発売日を迎えました。おそるおそるプレイボタンを押してみたらば、聴こえてきたのは拍子抜けするほどポップな音とまっすぐな声。え?本当に?と一瞬混乱してしまいましたよ。何だか信じられません。悩んだそぶりも憂いの影も感じさせずに、ただただぽんっと気持ちのいい音を放り出してくるあのHi-5が帰ってきたのだ、と勝手に思いました。それもぐるりとひとまわり成長を遂げて。轟音一直線の1stからはその肉体性を、曲のバリエーションを増した2ndからはその好奇心を、大いに悩みぬいた(であろう)3rdからはその思慮深さを、オトモビリストからは煌く音の浮遊感を引き継いで、さらに一段ステップアップした感があります。どの要素も深みを増して、しかもそれらがぶつかり合うカオスの罠をすり抜け、さらには足し引きの妙さえ身につけはじめた模様。すごいな、いったいどうしちゃったんでしょう。気持ちいいのに胸に響くよ。格好いいよ、あなたたち。

アルバムを通してのハイライトはやはり、8曲目の"ability #2"であるように思います。先のシングル曲に新たな日本語詞がつけられ(オリジナルは英詞)、アレンジも大幅に変わりました。テンポを落として割れるような粗い音を刻むドラム、ゆったりと流れるような鍵盤、それにずっと見晴らしのよくなった言葉を紡ぐ、意志的な声。こんなにも、人は変わるものかしら。と驚いてしまいました。オリジナルが「消えゆく何か大切なものを、どうすることもできずにただ見つめて嘆いてやけっぱち」という感じだとすれば、こちらはさしずめ「消えたものはしかたがないけど、それならもう一度手に入れてやれ」とでも言いたげです。しかし、必ずしもすべてが希望に満ちているわけではありません。今でも世界は、相変わらずままならないことだらけです。きっとこれからもそうでしょう。だけど、それでも、少なくとも。一歩足を踏み出してみれば、その気持ちがあれば、自分を取り巻く世界の景色は変わるでしょう?彼らは東京から、そう告げようとしているのかもしれないなと思いました。ああ、これなら本当に「リ・ボーン」ですよ。単純に、嬉しいです。とても嬉しいです。

あえて蛇足を付け加えるなら、全体的にドラムはもうちょい重たい方が気持ちいなぁとか(ライブはどういう感じになるんだろう?)一部ボーカルにエフェクトかけるのは何だか違和感があるなぁとか、こまごまと気になるところもあるのですけど。とりあえず今はただ、この音に揺られていい気分に浸りたいです。あらためて、お帰りなさい。ずっと待っていたのですよ。