almost everyday.

its a matter of taste, yeah

塩まいておくれ

今日から、職場に待望のストーブが入りました。もう、朝おきた次の瞬間くらいから自分でも「これは少々おかしいのではなかろうか」と不安になるほど浮かれきっており、普段めったに穿かないスカート(仕事着として、という意味ではなく普段着を含めても年に3回くらいしか着用しません)など身につけて意気揚々と出勤してしまうくらいの舞い上がりようでした。わたしの中で、今日という日は完全にストーブ祭りと化しているようです。お願いだから今日1日くらいはウォームビズだなんて興醒めなこと言わないでくれよ、スカートで、それも膝掛けなしで過ごせるくらいばんばんあっためてくれよ。と妙な具合にふくれあがった期待を胸に職場へ向かい、今やすっかり日課となった室内温度チェックのため温度計のある窓際まで歩み寄ると、そこでは健気な赤い水銀がどことなく誇らしげに20度を示していたのですっかり嬉しくなりました。さようなら、気温15度の部屋ですきま風に耐えながら歯をがちがちいわせて働いていた日々よ。30分おきに湯沸かし器で手指を温めなおさなくてはキーボードすらろくに打てなかった日々よ。あまりの寒さに涙まで浮かべつつ膝掛けを肩に巻きつけしのいでいたら見知らぬ若者にすれ違いざま「・・・かさこ地蔵?」とつぶやかれた日々よ。なんだか、これまでの自分がまるで発展途上国の難民あるいは亡命者みたいに思えてきました。そんな日々とももうお別れです。できればもう二度と訪れないでいただきたいわ。ふうう。

石油ストーブ特有のじんわりとした暖かみにうっとりとくつろいだ後、朝からさっそく大仕事。昨日のうちにまとめておいた資料について、朝の打ち合わせで概要を説明するのです。大勢のひとの前で(とは言ってもせいぜい100人いるかいないかなんですが)マイク片手にプレゼンするのはどうも苦手、というか未だに慣れません。喋り終えるといつも喉と唇がからからに渇いてしまっています。それでもなんとか、掴みのネタがそこそこうまく言えたあとは拙いながらもいちおう淀まず話せたような気がしました。わりと深刻な内容ながらも、笑って聞いてもらえたのでよかったです。こういう場面で受けを狙うというのはあまり正しくないことかもしれないけれど、聴き手の首根っこ掴んでこちらへ注意を向かせるためにはある程度きたない手段も必要なのだなあと思います。そういえば、自分が学生だった頃は「俺様が説明してやってんだからてめえは黙って聞いてろよ」という感じの傲慢な教師たちが心底だいきらいでした。それがどんなことであれ、大勢の前で話すからには内容の核となるポイントが少しでも深く記憶に刻まれるよう心を砕くべきです。それで金もらってるんなら尚更。もっときちんと話せるひとになりたいです。いや、ならなくちゃ。

終業後、急ぎ足で書店へ。ようやく文庫になった小川洋子さんの「博士の愛した数式」を買いました。これまでずっと我慢してたんです。うれしい。お風呂に浸かりながら、難解すぎる数式のところはせめてイメージだけでもつかむようにして、できる限りゆっくり味わおうと思っていたのにあっという間に読み終えてしまいました。これまで読んだ小川さんの作品では「黴のはえたオレンジ」がひややかなグロテスクさを表していたり「欠けた薬指の肉片」が淡く透明なかろやかさを表していたり、とさまざまな「有機物」が物語に大きな力をもたらしていたように思うのですが、この作品では「無機物」ですらない難解な文字の羅列が不思議なあたたかみを作り出しているような気がしました。それがとても心地よいです。わからない数式は職場のプロたちに尋ねながらさらにじっくり読みこもうと思います。たのしみ。おやすみなさい。