almost everyday.

its a matter of taste, yeah

リセットできる人生なんて信じない

何とか、どうにか。最初の一週間を働き終えることができました。こんなにも気合い入れて、細心の注意を払って、一歩一歩にじり寄るように仕事したのは一体いつ以来だろうという話です。それでなくても数字が苦手なので(※経理屋にあるまじき発言ですが悲しいことに紛れもない事実)、ひとつひとつをまるで親の仇でもあるかのように睨み潰していくより他にないのです。早く慣れたい。一刻も早く、さくさくこれらを片付けられるようになりたいです。だけどその反面、このフレッシュかつはりつめた気持ちをもう少し持続させたいという思いがあるのもまた事実。滅多に味わえないフレッシャーズ気分、今のうちに堪能しておこうと思います。いろんな意味で大変ではありますが。それでも。
そういうことを考えていたのと関連があるのかどうかわかりませんが、ふと思い出したことを覚え書き。わたしは「本当の自分はこんなんじゃない」というようなものの考えかたがだいきらいです。熱く燃え上がってやる気に満ちている自分も、くじけてへこんで自暴自棄になってる自分も、目上の人をおだてて持ち上げている自分も、酔っぱらって陽気になって軽くはじけてる自分も、どれもこれも紛れもなく自分自身だと思うからです。というより、前述のように極端な精神状態にあることの方が稀なのであって、どちらかと言えば淡々と日常を送っているフラットな自分こそが割合的にみれば最も「本当の(≠普通の)自分」に近いと言えるのだという気がしております。

それからもひとつ、「本当の自分が〜」という考えかたをする人はきっと心の中で「今よりずっと素敵な自分」を思い描いているのでしょうが、それを実現させるためには多大な犠牲と努力が必要であるという大前提を忘れちゃいかんと思うのです。宝くじ的な幸運を待ってるばかりじゃ、いつまでたってもほぼ100パーセントに近い確率で何も起こらないぜ?とつっこみたくてうずうずしてきます。まあ、こうした気分の半分以上は「そういうふうにもやもやしたままでも衣食住に困らない環境に恵まれた人」をやっかむところから来ているのだろうとは自分でも容易に推測できるわけですが。一般庶民は「自分自身で」稼がなくちゃ食って行けないんだぞ。嘆くなら、まずは自分で税金納めてからにするんだな。と言ってやりたい気持ちをぐっとこらえて今日も働きましたとさ。おつかれ、自分。

今からまたもやベーグルを焼いて(完璧にはまりました。たのしすぎる)、お散歩がてらの夜桜見物に行ってまいります。休日前の夜は長いのだ。それでは、ひと足お先におやすみなさい。