almost everyday.

its a matter of taste, yeah

48年生まれ、ねずみ年、てんびん座

父親の話。

ごく一般的に言って、「娘を持つ父親」というのは「娘を外へ極力出さないように護ろうとするもの」であるように思うのですが、うちの場合は必ずしもそうではありませんでした。いや、もちろん絶対的に悪いものからは遠ざけてくれようとしていたに違いないのですが、それだけじゃ何だか腑に落ちません。その違いはどうやら「護ろうとする」だけではなく「外界に触れて慣らそうとする」姿勢にあったようだ、というのが何となくわかったような気がしましたが、これに思い至ったのは成人してからしばらくたった後のことでした。

まず、わたしの父親は「本音」と「建前」を隠すということをしません。わたしがごく幼い頃から現在に至るまで、ずっと。です。近所の寄合で年功序列のかしこまった挨拶を聞いているときも、母親の小言を延々と聞かされているときも、その間だけはずっと神妙な顔をしているけれど全てが終わった後でぺろりと舌を出して「ここってときは真面目な顔でも見せとかなくちゃな」と笑うような、ちゃっかりしたところがあります。一歩間違えればただのちゃらいおっさんですが、曖昧さのないすぱっとした裏表とその鮮やかな切り返しは、幼いわたしに「反射神経を用いた礼儀正しさ」および「動物的な勘」、さらには「後味の悪くないずうずうしさ」への憧れみたいなものを植え付けたのに違いありませんでした。最初のふたつは遺伝的要素と見よう見まねでそれなりに会得できたものの、最後のひとつはなかなかものにできずにいます。きっと素質が足りないのでしょう、自分には。

他にもいろいろ、「泳ぎ方を教える(足のつかない海中でわざと手を離す)」「喧嘩のしかたを教える(囲まれたら強い奴から先に倒せ、とか)」「酒の飲み方を教える(膝の上でビールの泡を舐めていたらしい)」等、今にしてみれば割とめちゃくちゃな育てられ方をしたように思わないこともありません。そこには、わたしが二人姉妹の2番めだったが故の投げやりさだとか、せっかくだから男に生まれてきてほしかった的なあきらめムード等も色濃く反映されているのだろうなあと推察されます。

が、そういう諸々の事情や環境がからみ合って、結果的に力の抜けたほどよく投げやりな育てられ方をしたことが、わたしの場合はそれなりにいい方向に転んでくれたのかもしれないなあ。というようなことを何かのきっかけでふと思いました。愛されてなかったわけじゃなくて、愛情がわかりやすい方へ向かなかったんだろうな、というか。女の子を育てることにちょっと飽きた父親が、おもしろがってわたしを育てたのかもしれないなあ、というような。どうせなら男の子として生まれてきてあげたかったよ。ごめんね。おやすみなさい。