almost everyday.

its a matter of taste, yeah

49年生まれ、うし年、おうし座

母親の話。

ステレオタイプな母親像というものをほとんど破ることのない、揺るがない存在。みのもんたを信じ、あるある大辞典を信じ、ためしてガッテンを信じ、これらの情報源から仕入れた知識はことごとく素直に受け入れてしかも家族に吹聴するわりに、「効くんだってよ」「すごいんだってよ」とふれてまわるだけで満足して実行に移そうとしない好奇心とマイペースぶりのミックス具合が他とはちょっと違う、かもしれません。ハンカチ王子にも冬のソナタにも氷川きよしにもなびかなかった彼女のアイドルは、地元発の箱根ランナー。手の届かないスターよりも身近な存在を選ぶあたりはやや実存主義?それはどうだろう。病的なまでにきれい好き。あの年齢にしてはよく光る、ぱっちりとした目の持ち主。大人のくせに好き嫌いが多く、おかげでわたしはハタチすぎて家を出るまでオクラもししとうもえりんぎもレバーも食べたことがありませんでした。話す言葉の6割以上に主語がなく、その内容の8割以上が思いつきによると言われる超絶フリースタイルトーキングを得意とし、その全てを理解するのは家族でさえ至難の業。身の回りのほとんど全てのものごとは「良い/悪い」「好き/嫌い」等白黒はっきりきっちりすっぱり隔てられており、また、その結論に至った理由は極めてシンプルである場合がほとんど。

あんなふうに、何も恐れないでただ堂々と、いいとか悪いとか好きとか嫌いとか言えたらどんなにいいだろう。とたまにうらやましくなることがあります。でも、それは(少なくとも今の)わたしには無理だってことが分かってるのです。ああいうふうに振る舞えるのは、安心して身を沈めていられる巣を持っているひとだけのはず。完璧に守られ庇護されて、自分の元へ帰ってくる家族や味方を待つことを任されたひとにしかああいうことはできないはずなのです。きっと。おやすみなさい。