almost everyday.

its a matter of taste, yeah

かなしさの正体について

自分と同じ境遇にあるひとがつらい目に遭っているのを見たり聞いたりすると胸が痛みます。特に、「高卒」という共通項があるひとのことはつい自分と同じ目線の高さで見てしまいがちです。高卒ルーキーが2軍落ちとか、そういうのを聞くともうだめで、途端に胸がずきりと痛むんです。努力ぶりとかコンディションとか、そのひとのことを何も知らなくても「18からこつこつ働いてる人間が軽んじられるだなんておかしいだろ」という気持ちがぶわぶわわいてきてしまんです。思想とか理念とか信念とかいうものはそこには一切なくて、ほぼ完璧に条件反射というやつが働いているとしか思えません。そういうわけで、昨日からの立てこもりで命を落とされた若い警察さんのお顔を見たら、朝から涙がぼたぼた落ちて止まらなくなってすごく困りました。

この世界という場所は、少なくともいまわたしが存在しているこの場所に限っては、毎日毎日なまぬるいゼリーの中をスローモーションで決められた場所へ向かってほんの数ミリずつ歩かされるみたいに停滞していて、その速度は平穏無事に過ごすぶんには居心地のいいものに感じられないこともないわけで、普段はそれに安心しきってあたりまえのようにしているけれど、ごく稀に、そのゼリーが突然粘度を失いまったくの水になって谷の底までもろとも突き落とされるような仕打ちを受けることがないとも限らないのです。そして、それは、誰にでも起こりうることなのです。つらいけどかなしいけど、それはゼリーをつかさどる何らかの大きな力の気まぐれによってしかもたらされないのです、たぶん。くそったれだと思うけれど、わたしだって他の誰かにしてみればそのゼリーの一部を構成する分子のひとつなのだから手に負えません。考えたって悩んだってどうしようもないしどうにもならないから、まずは目の前にやってきたことをそのつど全力で考えるようにしています。わたしは、全能の神を信じない。たぶん絶対に、一生。おやすみなさい。