almost everyday.

its a matter of taste, yeah

だるいのはみんなおんなじ、かもしれませんよ

きのう眠る前にふと思いついて、ふくらはぎに冷えピタ貼って包帯がわりのハンカチでぐるぐる固定してからふとんに入ってみたのです。

そしたら今朝には、筋肉痛ぽいだるさがあらかた消えてくれてたのでちょっとうれしくなりました。炎症は冷やす、その他の痛みは温める。これが鉄則。と現役競技者(らしきもの)の頃に何度も教わったはずなのに、普段の生活においては大抵いつもこれらの常識(らしきもの)を綺麗に忘れてしまっています。これは何も今に限ったことじゃなく、昔からずうっと、だったりします。走ることや歩くことやにまつわる、いわゆる「専門知識」のようなものを日常生活に生かすことが全くできていない。という自分の中の厳然たる事実に時々気付いてもどかしくなることがわたしはわりとよくあるのですが、他の「元・競技者」の皆様はどうなんでしょう。あんなに、あんなに苦しんで、身も心も焼き尽くすようにして歯を食いしばっておのれの持てるすべてを捧げたはずなのに、その成果(というか、予備知識のようなもの)が歳を重ねた今の自分の根幹に生かされていない。というのは相当不幸なことのような気もするのですが。

・・・とは言え、まあ、よくよく考えてみれば、あれはあれで相当に苛烈かつある意味では日常離れした世界だったために、普段のごくフラットな生活に持ち込むにはやや重厚すぎるものだったりする気がしないこともないわけで、言ってみれば「次元が違う」のひと言で片付けられても仕方ないレベルの話なのかもしれないです。が、根が貧乏くさくしかも農耕民族的ゆるゆるまったりねちっこい思考回路の持ち主である(はずの)わたしの乏しい脳みそを以てすると、多少なりとも犠牲を払ったものごとからは何がしかの成果あるいは教訓めいたものを得ないことには納得できない。という非常に意地きたない野良犬根性のようなものが邪魔をしてる感が否めないのであります。なんで、どうして、せめてもうちょっとスマートにおりこうになれないのでしょうかわたしは。どうしてこう、いつまでたってもどんくさいままなんでしょう。生まれつき要領がわるいのだ、と言われてしまえばぐうの音も出ないんですが、それにしたってもうちょっと世慣れてもいい頃だろうという気がします。そんな自分が嫌だってこと、ていうのはback to back。臆病なくせに?秋まではまだ遠いのです。たぶんね。

関係ないけど、明日はお友達と浴衣を着て、地元のお祭りに繰り出す予定です。うふふ、たのしみ。おやすみなさい。