almost everyday.

its a matter of taste, yeah

逃れられない、のではなくて、逃げないことを選んだの?

今週に入ってからというもの、普段にも増して頼まれ仕事がやたらと多く、あわあわと溺れて波に飲み込まれそうな日々を送っておりますが今日はさくっと帰宅しました。なぜって、しばらく前に注文しといたCDの発送おしらせメールが今朝届いたからです。ずっと楽しみに待ってたんだもの、今日くらいは耳から栄養摂取させていただきますぜ。というわけで19時前には無事音源を受け取ることができました。ほくほく。

life goes on blah.きょう届いた音源の中で、もっとも深く心に刺さったのがSPIROの新譜でした。発売に先駆けてmyspaceで発表されていた「エリオット」が、まずは何よりすばらしいです。反復するメロディ、にもかかわらず起伏に富んだアレンジ、かなしみに身を浸す祈りにも似た詞。この曲を聴くためだけでも音源を買う価値があった、と思いました。わたしは。とは言え他の曲に魅力がないというわけではもちろんなくて、「彼女の涙」は穏やかな序盤とクライマックスとの対比が鮮やかでスリリングだし、waikiki waltzに収録された「キウィ」は物語が見えてくるようでどきどきするし、「sleeper」は静かに沈んだ痛みがそろりと忍び寄ってくるのです。

そして、最後の「ハイ・フィディリティ」。もし、人が本当に何かを知りたいと願うなら、その人はきっと誰にも頼ったりしない。とわたしは思うのです。地を這ってでも雨にうたれてでも砂漠をさまよってでも、自分の力で何とかしようとするに違いないと。それでも誰かに教えを乞おうとするならその理由はただひとつ、そのひとが既に存在していないから。・・・というのは穿ったものの見方でしょうか。そのひとだけに教えてほしいから、そのひとの与えてくれる答えでなければ意味がないから、だから教えを乞い続けているのではないか、という気がして仕方ないのです。答えが返ってこないのを知っていて、それでもなお呼びかけ続けることを選んだひとの言葉と声。そういうふうに思って聴くと、どうしようもなく胸がざわざわ揺さぶられます。もういちど、直にこのひとの歌うのを聴きたいなあと思いました。おやすみなさい。