almost everyday.

its a matter of taste, yeah

But I'm a million different people come one day to the next

入稿、おわりました。ひと月半あまり頭を悩ませ続けた仕事が、ようやっと片付きました。やったー!
…とは言え、ぴったり1週間後にダメ出しの嵐をくらうであろう事は火を見るよりも明らかなのだけれども。それはそれとして、ひとまず横においといて、今日のところはセルフ慰労会です。ぴったり定時で仕事を切り上げ、いそいそと書店へ立ち寄り、年明け以降続々と発売されてきた新刊文庫(=文庫化をずっと待ってたもの)を迷いに迷って3冊選び、ビールの6缶パックを買って早々に部屋へ戻り、溢れんばかりにたっぷりと湯をためたお風呂にこもって3時間かけてうち1冊を読了。仕事のためでも勉強のためでも生活のためでもなく、ただ単純に自分の楽しみのためだけに活字を追ったのはずいぶんひさしぶりのような気がしてとてもうれしくなりました。まるで角膜から栄養を摂取したかのような気分です。ちなみにその間、ビールは2本いただきました。お風呂を出てからもなお飲酒欲はおさまらず、これを書きつつさらに2本め(つまりトータル4本め)に突入したところであります。今日くらいはいいだろう、今までずっと我慢してきたんだ。いろんなことを。とかいうことを言い始めるときりがないので(さらに言うならまだ週の前半なので)ほどほどにしておこうとは思いますが。それにしても、たまんないですこの開放感。これを味わうために働いてるのかもしれんよなあ、と思ったり思わなかったり。
それで今日はまず1冊め、島本理生さんの「ナラタージュ」を読みました。ハードカバーで出たばかりの頃、結末が知りたいという気持ちにのみ衝き動かされたいそう長い時間をかけて、結局そのまま立ち読みで読破したという自分の中ではいわくつきの本です。ひとつひとつのセンテンスが長く読点の少ない文体は全体的に穏やかなのだけれど、時々なんだかもどかしそうに引き攣れてリズムを乱すことがあって、それが「自分」の「あのころ」の記憶と結びついて胸がどきどきしたり苦しくなったりします。しかもそれは、「あのころ」を向こう岸から眺めるみたいな遠い思い出としてではなく、まるで昨日のことみたいに色濃く生々しく鮮やかに思い出されてしまうんです。その強さと勢いがすばらしいなあ、と思いました。記憶が薄れてきたころにまた読み返したいです。
Urban Hymns眠る前にもうひとつ。仕事を終えたあとの帰り道は、特に急がなきゃならない理由など何もないのにいつもなんとなく気が急いて追い越し車線ばかり走ってしまいがちです。が、今日は自分でもびっくりするほど気持ちが安らいでいて、おまけにiPodからは「ビター・スウィート・シンフォニー」のあの甘いストリングスが流れてきたのでうっとりと目を閉じてしまいたい衝動にかられました。きもちいいなあ。あらためて詞を読んだらまたぐっと来ました。
「僕は変わらない。変わることはできる。だけどまた、こうして自分の型にはまりこんでしまう。」
ほんとうに、そのとおりだ。泣こうが笑おうが、悩もうが楽しもうが、浮こうが沈もうが、どの自分も全部自分だ。明日からはまた、元気に働こうと思います。おやすみなさい。