almost everyday.

its a matter of taste, yeah

異論はもちろん依存も無し

写真:ちょっとした鈍器と化したゲータレードの空き容器。中身がいっぱいになったので取り出して数えてみたところ、トータル163,000円という結果になりました。よほどみっしり効率よく収納されていたらしく、カウント後に再度入れ直そうと思ったら20枚ばかし溢れてきたのでびっくりです。困る。
週明けからこっち、今年の暑さもてっぺんを越えたようでしのぎやすい夜が続いております。ここ2日はタオルケットの上に、早くも毛布を1枚重ねてみたりとか。それでふと「去年の夏は残暑がずいぶんきびしかった」という記憶がよみがえってきて同じ時期の記録など読み返してみたものの、自分で思うほどには暑さに言及しておらず、記憶というのはつくづくいい加減なものだと思いました。日々の記録を書きつけておいて、後から「役に立った」という実感を得るのは大抵こういうときです。逆に言えば、こんなことでもなければついぞ役に立たない、ということにもなります。そういう役に立たない記録を残すというただそれだけのために、毎日毎日10分ないし20分を費やしている。という事実に思い至ると軽いめまいをおぼえますが(少なめに見積もっても1週間で70分、1か月で5時間、1年で2日半、って考えただけで頭がくらくらしてきます)、やめられないというよりはむしろ「やめどきがわからない」と言ったほうがより正確であるように思います。でも、少しくらいはこういう無駄があってもいいよな。などと短絡的に考えてしまいがちな辺りが、おのれに甘い人間特有の思考回路かと。おやすみなさい。