almost everyday.

its a matter of taste, yeah

いのちのねだんはいったいいくら?

写真:本日の朝刊より。おお、新潮文庫から出るのですか!なんか意外だ。*1BUZZ連載時はインタビューそっちのけで真っ先に読んでおなか抱えて笑ってました。哀川翔の「コーナー、持てよ」では笑いすぎて涙さえ流した覚えが。あれってもう何年前なんだろう?はやく読みたい。買いに行かなきゃ!
いのこり、今夜はさらに深い時間まで。
ああでもないこうでもない、と頭をひねりながら手を替え品を替え億単位の数字を弄っているせいで、そろそろ金銭感覚が麻痺してきたっぽいです。「いいじゃないですか5百万くらい」とか「それじゃさっきの2千万削っといてよ」とか、そういう言葉がばんばん飛び交うワイルドな職場*2。で、ふと我に返ってみると、軽々しく口にしてるこれらの数字ってのは、それひとつだけでわたしの年収、いいや下手すりゃ生涯年収をいとも簡単にふっとばしちゃうデカさだったりする。という事実に頭がくらくらしてきます。身の丈に合わない、ってこういうことを言うのだと思う。心から。
身の丈に合わない話をもうひとつ。就職してまだ間もないころ親が用意してくれた生命保険の掛金を、現在に至るまで毎月欠かさずちまちま払い込んでいるのですが、つい先日その進捗状況を示すおたよりが届きました。それによると、わたし、仮に今あの世へ旅立ったらもれなく○千万円の保険が下りるんですって*3。はああああ。わたしの値段が○千万。買いかぶるのも大概にしときなさいよ、ていう話です。それっていうのはもちろん「現時点でのわたしの値段+今後の期待値×これから生き続けるであろう年数」を見込んで弾き出されているのでしょうけれども、それにしたってビッグマウスが過ぎるよあなたちょっと落ち着け。と言ってあげたい気持ちになるわけです。実際のところ、わたしがいなくなったらつまんないとかさびしいとか、そういうふうに思ってくれるひとは少しはいる(かもしれないと思いたい)けれど、現実的に物理的に「困る」というひとはたぶん存在しないと思う、現時点では。値段は別にいくらでもいいけれど*4、プライスレスな価値あるひとになりたいものだ、いやならんとな。と思った次第です。おやすみなさい。
■おしらせ。今朝からプロバイダのサーバーに障害が出ているらしく、現在メールの送受信ができません。というわけでNさん、Dさん、今のところまだお返事確認できてない状態です。ごめんなさい。復旧しだい折り返しご連絡しますので、しばしお待ちを。

*1:なんとなく勝手に、知恵の森文庫から出るものとばかり思ってました

*2:ただし期間限定で

*3:いちおう金額はふせておく

*4:わたしが貰えるわけでもないし