almost everyday.

its a matter of taste, yeah

ストロベリー・フィールズ / 小池真理子

さいきん心苦しく思っていること。それは「コメント」欄を押すと出てくる「リンク元」に、毎日毎日「ストロベリー・フィールズ」もしくは「小池真理子」あるいは「読売新聞 連載 小説」などの検索ワードがほとんど必ず出てくる件についてです。その原因はおそらくこの日のエントリだろうと推測されるのですが、いま読み返しても得することとか何も書いてない。せっかくこんな僻地までいらして下さったのに申し訳ない。というわけで、ここらでちょっくら重い腰を上げてみることにしました。
※以下、まったく読み返したりしないで記憶だけを頼りに書いてます。事実誤認や解釈の違い等には目をつぶってくださいますよう。

  • 基本情報
    • 「ストロベリー・フィールズ」は、読売新聞で連載されている小池真理子氏の小説。
    • 2008年9月12日現在、第298回。単行本化はされていない(多分)。
    • 挿絵は柄澤齊氏による版画。
  • 大まかな設定など
    • 主人公は、鎌倉の開業医。女医。夫と大学生の娘がいる。夫は再婚で(前妻とは死別)、したがって主人公と娘との間に血縁関係はない。
    • ただし、夫とは前妻が亡くなる前に知り合い、長く心を通わせていた。
    • 再婚の時期が娘の思春期と重なったせいか、娘が完全に心を開いているとは言い難い。とは言え、表面上は円満な家庭を築いている。
    • 娘には既に婚約者がいる。が、大学卒業を前にパリへの語学留学を望むなど奔放な面がある。おねだり上手な小悪魔。
    • 夫は小さな出版社の社長。日々忙しく充実した日々を送っている。
    • 主人公も開業医として多忙な日々を送っており、家事の大部分を通いの家政婦に任せている。この辺りから、なかなかに裕福な暮らしぶりが窺える。
  • あらすじ
    • ある時、娘が自宅に友人を招く。同じような背格好の若い女と、その兄。
    • 女は大学生、兄は会計士を目指して勉強中。しかし既に諦めかけており、現在はもっぱらバーのバイトで身を立てている。
    • 主人公が医者と知った兄は、それから別の日に「ものもらいを見てほしい」と言ってふらりと現れる。東京から、鎌倉まで。わざわざ。
    • この兄は他にも、娘たちの携帯メールアドレス交換のどさくさにまぎれて主人公へ意味深なメールをよこすなど思わせぶりな態度を取る。
    • それとほぼ時を同じくして、主人公は夫の浮気の決定的な瞬間を目撃してしまう。相手は、夫が経営する会社の社員にして秘書。
    • 激しい嫉妬と混乱に苛まれる主人公。また、その頃、離れて暮らす老母の痴呆などの問題も表出してくる。
    • 学会へ出かけた主人公は、かつての恋人と再会する。その仲が再び深くなることはないが、気心の知れた話せる間柄である。
    • 鎌倉へ戻る新幹線の中、懐かしい気持ちで元恋人と手を握り合っているところを娘とその婚約者に見られてしまう。
    • 表面上ではそ知らぬ態度を取り続ける娘。しかし、夫にはその事実を告げている模様。しかし、プライドの高い夫はそれを責めずに静観。
    • 悩みが尽きない主人公。上京の折、思わせぶりな兄のバイト先であるバーへ誘われつい心が動く。
    • 「熱帯魚を見に来ませんか」と誘われ、兄のアパートへ。話し込んだ後、唇を重ねあう二人。その先までは続かない。
    • 夫の浮気を知った兄は、主人公に持ちかける。「僕が、秘書を誘惑してあげましょうか」
    • 兄のもくろみは的中し、秘書は兄に夢中になる。が、それを知り嫉妬をおぼえる主人公。「もう秘書には会わないで」と懇願するが−?

端的に言って、個人的な興味の対象はひどく下世話な、言ってみりゃもう「主人公は兄と一線を越えてしまうのか?」という一点のみに集約されていたわけですが。ここ数日の流れから鑑みるに、主人公と兄は「身体を交わす類の愛」でも「擬似母子的な愛」でもない、「孤独という一点においてのみ通じ合う、しかしそれゆえに得がたく深い愛」というものによって心を通わせつつある。というふうに信じたいみたいですね。少なくとも主人公は。
このまま行ったら何となく、焦らすだけ焦らして最後の最後に一度だけ寝てその後は別の人生を歩む、的なラストが待ってるのかしら。という気がしてくるのだけれど、とりあえず兄の真意が見えそうで見えないという点が唯一のミステリーなわけで。ここらへんの書きかた、巧いなあ。と思います。おかげで毎朝ここから真っ先に新聞を読むようになってしまいましたよ。どうしてくれる。
それからもうひとつ。歳を重ねた女性を主人公に据えた小説ってのは、どうしても「高収入」とか「セレブ」とか「年齢を感じない美しさ」であるとか、何かしらそういうステキ要素が盛り込まれているように思います。それは読者を当たり前の日常から飛躍させる装置として機能するものだ、とわたしは考えてます。こうした傾向は特に(えくにかおりの)とうきょうたわーなんかに顕著にあらわれてるとわたしは思うのだけれど、何て言ったらいいのかこう、「歳を重ねても求められたい」っていう書き手側の強い望みが透けて見える気がして何だか腰が引けてしまうんです。というのは現時点でわたしがまだその年齢に達していないせいも多分にあるはずで、それがよけいに怖さを増幅させるんです。わたしもいずれはそうなるのか。それは困る。というか、いやだ。かつて「三島由紀夫レター教室」の解説で群ようこ氏が引用した、作中の未亡人のセリフが脳裏をかすめるんです。「大ていの女は、年をとり、魅力を失えば失うほど、相手への思いやりや賛辞を忘れ、しゃにむに自分を売りこもうとして失敗するのです。もうカスになった自分をね」うわわわ、こわい!そんなのいやだ。ぜったいに。でも油断したらきっとそうなる、いとも簡単に。
で、この作品においては「女医」「裕福」ってあたりがそのステキ要素にあたるわけですが、それを打ち消すインパクトでもって「夫の浮気」「嫉妬」「娘との(潜在的な)不仲」なんかが立て続けに襲いかかるせいか、ステキ要素というよりは「それでも何だか結構しんどい」という状況を引き立たせるための設定に見えてきます。そういう何かとドライな描写も個人的には好印象。えーと、また何かあったら書きます。おしまい。