almost everyday.

its a matter of taste, yeah

Love Is Ending

2日前に書いたシャーラタンズの新曲がほんとうに良くて、通勤中とか仕事中とか眠る前とかにもふっと頭の中で鳴り出したりするのがうれしいです。はやく聴きたいな、新譜。いやその前にまずはサム・フレンドリーか。ああたのしみ。
体調崩す→休めない→さらに体調悪化→仕事に支障が→ますますしんどい、ていう無限ループにようやく光明が。血もほぼ止まったし、あとはもう喉が若干いがらっぽいくらいだよ。それでなくても低い地声がヤニ臭そうなおっさんボイスに嗄れてる以外はおおむね通常運転です。しんどかったな。この後の夏はなるべくいい調子で過ごしたいなあ。
というわけで、ここ3日間の停滞ぶりを払拭すべくガツガツ働いた金曜日。外部オーダーも打ち合わせも根回しも見積もりも契約も月末〆も、今のうちにやれるところは全部やっつけていざ週末です。おつかれ自分。しかしそんな開放的な瞬間にも、突然なんの前触れもなく何かにかくんと躓いたような気持ちにやられてしまう日というものがあるわけで。
おそらく今日も夫の帰りは遅いはずで、しかし割引とかポイントとかそういうものに目がないあいつは金曜限定のクリーニング一割引サービスに何が何でも間に合うように帰りたいはずで、ならばせめてもの優しさとして「代わりにクリーニング出しとくから会員証とりに行くよ」とのメッセージを残してから1時間経過。駅前をぶらつき服や本や人にあげるものを品定めしつつ返事を待つも何の音沙汰もなく、見るべき店もだいたい見つくした。というタイミングでふと我に返りました。
家に帰りたくない。
誰もいない暗い部屋のドアを開けるのも、その暗く蒸し暑い部屋の窓を開けて風を通すのも、いくら磨いてもすぐ汚れる古い床にシートモップをかけるのも、いつ誰がどんなふうに食べてるのかが全くわからないメシをつくるのも、ひとりで眠るのももううんざりだ。
たった4か月前までは当たり前でしかなかったことがもう嫌になるなんて、つくづく自分は欲深くて愚かしい。というその考えがさらに自分を落ち込ませました。いかんいかん。とは言え、たまにはあるよねこういう日も。何もかもがいやになる日も。わがまま上等、少なくとも今日の自分はそれが許されていいくらいには働いてきたぜ!ということにしてもいいですか?どこまでも自分に甘い理論で。おやすみなさい。