almost everyday.

its a matter of taste, yeah

あなたも私たちもおそらく誰もがみな

認めたくない事実ではあるのだけれど、先週あたりからどうも少しずつ空気が乾燥してきているようです。静電気持ちには厳しい季節が、今年もまた近づいてまいりました。同じスチール製ロッカーでも平気なやつとダメなやつがあって、ダメなほうに手をのばすときは毎度そろりそろりと注意深くにじり寄るのですが、急いでる時とかつい無防備に触れてしまってバチーンとかすごい音させたあげくに「のおおうっ!」などと声にならない声を洩らしてしまうのがはずかしいです。ハンドクリーム塗ったりシリコンブレスレットはめたりと対策はそれなりに講じてるつもりなんだけど、どれも毎回必ず100パーセントの精度でバチバチ防いでくれるとは言い切れないんだよなあ。ううむ。
終業後、チネにて「ベンダ・ビリリ!」。今週の仕事の立て込み具合からすると、今日を逃したらもうチャンスはないように思えて仕方ないので急ぎに急いで何とか間に合いました。感想。見に行けてよかった。まずはこれに尽きます。それから、これは夏のさなかに「ソウル・パワー」を見たときにも思ったことなのだけれど、こうしたファンキーな音楽がずっと流れ続ける映画を座ったままで見るのはどうにもむずがゆくて仕方ありません。いっそスタンディングで踊りながら、そして飲みながら見たいよ。「もう一つのキンシャサの奇跡」というサブタイトルが示すとおり、JBリスペクトなオリジナル曲「ジュテーム」が繰り返し演奏されるのが格好よかったです。
劇中で歌われる歌詞はどれも苛烈な日常をありのままに切り取ったもので、字面だけ追って行ったらついうかうかと痛ましい気持ちにやられてしまいそうな、ありていに言えばユニセフの募金をつのるイメージ映像を見せられてるような気持ちにやられてしまいそうな気がするのだけれど、ふしぎなことにそういう気持ちはあまり湧いてきませんでした。上映後、どちらかと言えば「そうだよね。あなたにはあなたの、わたしにはわたしの現実があるのよね。わたしはわたしで明日もがんばるよ」みたいなことを考えた。それっていうのはたぶん、どんなにしんどい詞が乗っててもからりと明るく伸びやかなメロディであるとか、路上でも動物園でもフェスのステージでも変わることなくただただ楽しげなメンバーの演奏っぷりによるところが大きいんだと思います。自分を憐れまない強さがあるというか。ギターなんかもうぼろぼろで、よく見るといちばん太い弦がたった1本残ってるだけだったりして、それでもちゃんと歌えてしかも気持ちいい曲をぽろぽろ弾いてたりするんですよおっさんがとびきりの笑顔で。たまりません。
それからもうひとつ。自作の一弦ギターを携えておどおどと自信なさげにメンバー入りした年端のいかない少年が、別離と再会と成功を経てみるみるうちに女のひとりやふたりはべらせてそうな若い男へと成長していく過程の眩しさったらありませんでした。あんなにあどけなかった子供をめまぐるしいスピードで大人の男へ変えたのはきっと、時間じゃなくて経験と自信と「必要とされている」喜びみたいなもの、なのだろうなあ。エンドロールの最後の最後、闇に消えるその瞬間の音が彼のあの一弦ギターの音だった。というのもぐっと来ました。未来と希望の象徴。確かに、まだ、世界は捨てたもんじゃないみたいです。おやすみなさい。