almost everyday.

its a matter of taste, yeah

先日の余震でシフトが変わって二連休です。すばらしい晴天で気温も上がり、買い出しへ出るのに上着がいらないくらいでした。身につけてるのはシャツとカーディガンの2枚だけなのに、帰り道では日に照らされた背中が熱いくらいだった。お茶うけには桜餅を買いました。福島の桜もそろそろ咲きはじめる頃でしょうか。
わたしは桜餅を葉っぱごといただく派なのですが、いつものようにそうして見せたら母にものすごく驚かれ、わたしはわたしで驚かれたことに驚きました。もしかすると、母といっしょに桜餅を食べること自体これが初めてかもしれません。わたしは今でこそ食生活におけるモットーとして「出されたものは残さない」を標榜しておりますが、その昔は行きすぎた偏食ゆえに虚弱でしょっちゅう熱を出しちゃあ点滴打たれるどんくさい子どもだったんでした。あんこをおいしく食べられるようになったのもここ10年くらいの話なもんで、何かの拍子に時空がねじれかつての自分がつい先日のあんパンまみれな世界に迷い込んでいたら…と思うと軽い目眩をもよおしてしまいます。人生初のまるごと桜餅を頬張る母は「あら、美味しい。いい香りねえ」と目をまるくしてました。でしょうでしょう。
うさぎドロップ」が遂に完結。あのクライマックスを念頭に置いて映画(ダイキチas松ケン)を見たら、それはそれでまたひと味違った作品に見えてきそうな気がします。ともあれ、育ての親としてのダイキチがきちんと報われてよかったなあ。と胸をなでおろしました。スピンオフはあるのかしら、コウキ編とか。読みたいです。
さいきん人に言われてはっとさせられたのは「あなたがそういうことを書いてるとほっとする」という言葉でした。自分の好きなもの、音楽や酒や本やなんかをたのしむ機会が以前より少なくなったのは事実だし、以前とまったく同じ気持ちではたのしめていないのもまた事実です。心のどこかに刺さった棘が未だに抜けずに痛むような、そういう感じがあれからずっと続いてる。でも、好きなものに触れたあとに心がすーっと軽くなるのもやはりまた事実なのでした。
大人たるもの、おのれを律してなんぼです。わたしはまだまだたのしんでなどいられません。浮かれるなんてもってのほかです。けれども、人に気を遣わせるような我慢はかえって逆効果なのでしょう。わたしがわたしを律するだけならそれはわたしの勝手だけれど、無意識とは言え周囲に同じ我慢を強いるようではいけないのです。たまの息抜きを上手にね、自分。という戒めでした。おやすみなさい。