almost everyday.

its a matter of taste, yeah

娘に慕われる父親像

実際の話、30代も半ばにさしかかると会話の中身が「家どうする?」「子供どうする?」「親どうしてる?」の3つしかないみたいな場面がじわじわ増えてきたりするんです。ひゃっふー大人の世界だぜ何が待ってんの?ていう話ではあるのだけれど、つい先日もそういうことがありまして。そこでの会話がやけにありがたがられたので、いちおう書き残しておくことにします。題して「娘に慕われる父親像」。え?
というのも。前述のとおり親の老後や介護がうんぬんかんぬん、みたいな話をしていたときに相手がこう訊いてきたんです。「父ちゃんのこと、すごい楽しそうに話すよねえ」って、不思議そうな顔で。「うん、仲よかったしちゃんと尊敬してたよ、それなりに一応」と返したところ、急に相手が身を乗り出してきたんでした。「どうやって?」「え?」「どうやったら娘に尊敬してもらえんの?ねえ」
つまりはこういうことでした。彼は昨年子をもうけたばかりの若い父親であり、ゆくゆくは年頃に成長する娘と良好な関係を築きたいのだと。今からそんな心配してどうすんだお前、という気はしないでもないけれど、あまりに切実なその目に抗うこともできず遠い記憶を掘り起こしてみることにいたしました。注ぎつ注がれつ、既にすっかり酔いの回った脳みそで。
思うに。父親が娘に慕われ尊敬されるには、次の3つの要素が揃えばいいんじゃないかと思います。あくまで自分の経験から、の話ですが。

  • たまに鋭いことを言う
  • 母親に見下されすぎない
  • 身近に反面教師がいる

まず「たまに鋭いことを言う」。後述しますが「たまに」ってのがポイントです、多分。
これに関しては、今もはっきり思い出せる古い記憶があります。たぶんわたしが小学校に入るかどうかくらいの頃に、インフルエンザか何かが大流行した年があったんですね。それでわたし、父親にこう訊いたんです。「その病気が治るお薬はいつできるの?」って。そしたら父親はこう返しました。「さあな。そのうちできるんじゃねえか?」「ふーん」なんか釈然としないな、だいたいそのうちっていつよ?と思ってたところへ、父は重ねてこう言ったんです。「でもな、薬ができても終わんねえぞ」「なにが?」「すごい薬ができた後には、それよりもっと強い病気が見つかるんもんなんだよ」「どうして?」「知るかそんなの。でもな、そういうふうに出来てるんだよ世の中って。終わりなんてないんだよ」
このやりとり、子供だった自分にはかなり衝撃的でした。世界とか宇宙とか、よくわかんないけど途方もなく大きい何か、というものを生まれて初めてイメージできた瞬間だったと思う。頭の中でぱちんと星がはじけるみたいな画が浮かんだことを、今も鮮明に覚えています。すごいすごい世界ってすごい、それにそんなことを知ってる父ちゃんすげえかっこいい!みたいにめちゃくちゃ興奮したことも。
これは多分、わたしの父親が普段あまり口数の多いひとではなかったことも大いに関係しているのだと思います。決して無口というわけではないし、機嫌がよければ軽口をたたくこともある、しかし余計なことは言わない。そういうタイプのひとでした。これがもし、普段から小難しいことをねちねち語って聞かせるようなひとだったら話はだいぶ変わってくるんじゃないかしら。「うわ、またかよ」みたいな感じで適当に聞き流して、記憶の片隅に残ることもなく終わってたかもしれません。普段は何を考えてるのか今ひとつよくわかんないけど、たまに鋭いことを言う。この落差が強烈な印象を残すのではないかと思います。こどもが何か訊いてきたときに、ひょいっと面白いことが言えたら格好いいよね、という話です。それ以前にまず、何を訊かれてもうろたえたり慌てふためいたりしないことが第一かも。なめられるよね、そういう弱みを見せたらたぶん。
ふたつめ、「母親に見下されすぎない」。わたしの母親はやや気が短く怒りっぽいところがあり、何かとひとりでいらいらぷりぷりしていることが多いひとです。その矛先は父に向かうことが多く「いつまで飲んでんのよ!」「それ何杯めなのよ!」「洗濯物はやく出してちょうだいよ!」みたいな小言はほぼ毎日のように繰り返されていました。ただ、母は、わたしたち娘に直接その苛立ちをぶつけるということをしませんでした。「ダメなお父さんねえ」とか、その手のことはただの一度も言われなかった。これ、こうして書いてみると当たり前のような気もするんですが、実際にはわりと難しいことだったんじゃないかなあ。何故って、身近な愚痴は身近なところで吐き出したいと思うはずだからです。母にそういうポリシーがあったのか、それとも父と何らかの約束を交わしていたのかはわかりませんが、いずれにしても何らかの意志があって自らを律していたのはまちがいないと思います。父も父で、母を貶めるようなことはいっさい口にしませんでした。わたしの中の父親像が「ほどよくダメなひとで、しかし見下されるべきではないひと」といったものであり続けたのは、実はこれのおかげなんじゃないか、という気がしています。距離はすごく近いんだけど逆らえない、みたいなちょうどいいバランスで。
みっつめ、「身近に反面教師がいる」。これはおまけみたいなもので、あればあったでもうけもんくらいの話です。わたしの場合は父の兄にあたるひと、いわゆる伯父がそれはそれはもうどうしようもなくダメなひとでした。戦後ちょっと暮らし向きがよくなってきた頃に、長男だからと蝶よ花よとちやほやされたらこういうふうに育っちゃうんだなあ、ていう見本のようなダメっぷり。末っ子としてある意味ほったらかしに育てられた(らしい)わたしの父はグレることもなく独立心旺盛で、地道に手に職をつけて親の援助なしに家を建てたというのがちょうクールです。わが親ながらちょうかっこいい。それにひきかえあの伯父さんは、みたいな感じで父ちゃんがなお誇らしく輝いて見える、という話でした。
…こうして並べてみると「だから何?」ていう話ばかりなのですが、あんなにも真剣に(それも酒の席で)話を聞いてもらえたのはひさしぶりだったので「これ、もしかしたら需要ある?」と思いメモとして残しておくことにした次第です。そしてわたしは今も父ちゃんが大好きで、同時に尊敬してもいます。