almost everyday.

its a matter of taste, yeah

君が明日も消えてなけりゃいいな

それはそれはもう不毛な、不毛でしかない作業に時間と思考を費やした月初め。普段からオーダー遵守・迅速的確を目指している身ではありますが、あんまりバカバカしくてとうとう「いま精度を上げるべきなのはここじゃないと思います」って思わず口を挟んでしまったよ。言ってよかった。言わなきゃますますバカに磨きがかかってしまってたかもしれない。
「誰に頼まれたわけでもない日記を、わざわざ好き好んで、しかもウェブ上に書いて残し続ける理由って何?」というような質問をされることがあります、稀に。
それに対する答えとしては大抵いつも「未来の自分のための備忘録」「眠る前の歯磨き的習慣が惰性で続いてしまってる」「あわよくば似たような趣味のひとと知り合えるかもしれないという下心」といった理由を挙げていました。それはもちろん変わりません。が、さっきちょっと思い出したことがあるのでこれも加えておくことにします。
わたしの仕事内容はおおむね3〜5年サイクルで変わりますが、突き詰めればどれもこれも事務なんですね*1。で、その事務っていうのは言ってみれば「個をなくす」作業なんです。職場でやりとりする文章に個性はいらない。むしろ邪魔です。それがいつ、誰の手によって書かれたものであっても、仮に今日このあとわたしが死んだとしても、明日からは別の誰かが滞りなくきちんと後を引き継げるようにしておかなければならない。誰が読んでもわかるように、きちんとルールに則った書式で。財務諸表やhtmlだって同じことです。それが10年くらい前に、あるとき急にふっと怖く感じられたんでした。忘れてたけど思い出した。「このままずっと働き続けて、ルールに沿った文章ばかり書いていたら、わたしはそのうち自分の頭でものを考えることをしなくなるんじゃないか」って。
それで急いで日記を書き始めた、というわけではもちろんありません。それに10年後の今、はたして本当に自分の頭でものを考えられているかどうかもあやしいですが、とりあえず「書く」という行為に鎮静効果があることだけはわかっています。できることならあんな怖さはなるべく思い出したくないな。おやすみなさい。

*1:時には土嚢を積んだりもしたけれど