almost everyday.

its a matter of taste, yeah

チュニジアの夜

本日10月11日は、ジャズドラマーのアート・ブレイキー氏の誕生日です(1919年)。わたしにとっては往年の名プレイヤーのひとり、思い入れがあるというよりは偉人に近い存在ですが、父が彼のファンだったためその名を聞くたび不思議と懐かしいような気持ちになります。61年の初来日後親日家となったらしいブレイキー氏はその後も度々日本を訪れていたそうで、父はその後の黄金期をリアルタイムで聴いていた世代でした。高速バスはおろか東北新幹線すら走っていなかった時代ゆえ、父がその演奏を生で聴く機会には恵まれなかったようです。が、そうした発想そのものがなかったのもまた当時としては当たり前なのでしょう。家でレコードを聴いて楽しむ、それ以上でもそれ以下でもなく、他のことは求めない。というのが当時の(東北の片田舎での)リスナーのあり方だったのだと思います。
しかし父はわりと進歩的な性質だったらしく、「若い頃は遊び半分でドラム叩いてたんだっけー」と聞いたことがありました。残念ながらわたしが生まれた頃には既に仕事ひとすじで趣味はほぼ全て封印してしまっており、そのプレイを直に聴いたことはありません。よって腕前の程は知らない、というか単にかぶれてただけという可能性も多いにありうるわけですがそれはそれとして、ごく稀に(機嫌よく酔ったときなどに)その辺りの話を聞かせてくれることがありました。それは今でもやけに鮮明に覚えていて、何というかこうへんに楽しく、やたら浮かれた記憶だったりします。「左足はこうやって動かすんだでー」とか「速い曲のほうが難しいと思うべ?違うんだっけ、遅い曲のほうがよっぽど大変なんだで」とか、膝の上でそれを聞いてるわたしの位置は今にして思えばハイハットだったんだなあとか。
こんなことを書くと父がまるでいっぱしのジャズメンみたいに思えてきますが決してそんなことはなく、その音楽嗜好は平たく言えば雑食でした。古いLPのコレクションはわたしが知る限りメッセンジャーズにベンチャーズハリー・ベラフォンテザ・ピーナッツ、山本邦山(尺八の人間国宝)といった塩梅です。いつだったか「ビートルズとかは聴かなかったの?世代的にど真ん中だと思うんだけど」と訊いてみたら「流行りすぎてて逆に興味が湧かなかった」と返され妙に納得したことがあります。その血は間違いなくこの身に脈々と受け継がれている、と実感した瞬間でもありました。わたしの嗜好もたいがい雑食ではありますが、父のこの振れ幅に比べればまだまだ赤子レベルだと思います。ピーナッツと現代邦楽を並行して聴くというのは、今で言うならK-POPを聴きつつ海老蔵も見ちゃうよ的なノリだったりするのでしょうか。我が親ながらなんか豪快です。ちょっとばかしストライクゾーンが広すぎやしないかと言ってみたくなる。このネタいつか書いたっけ?と思いざっくりログを振り返ったら、意外にも手つかずだったのであらためて書いてみた次第であります。ブログって、こういうときにはべんりですね。まさに備忘録。
話は変わりますが、K-POPといえば昨夜のHEY!HEY!HEY!。夫がAMEMIYAの歌ネタ見たさにずっとチャンネル合わせてたんですが、TRF以外の歌うゲストがぜんぶK-POPがらみでちょっとびっくりしました。そんなにも流行っていたとは。Geeとミスター以外の曲がほとんど全く耳に残らない自分はやっぱりもう若くないのだなーと自覚しているつもりですが、猫の手のぬいぐるみ?をつけて歌うグループが出てきたときはさすがにちょっと「冗談だろう?」と思いました。「それ、いくらなんでもデカすぎないか?」「それって萌えるの?セクシーなの?本気でそう思ってるの?」ていう意味合いで。来るところまで来たなというか、ブームが飽和状態に近づいてきてるんじゃないかというか、韓国だったらなんでもいいのかというか。夫はぽつんと「あおいちゃんのダンナが言うこともなんとなくだけど一理ある、気がしてきた…」とつぶやいていました。個人的には日本人ゲスト(黒沢さんとか)の心酔ぶりが見ていてなんだかおそろしかったです。司会のおふたりがそっけないので番組全体としてのバランスはよかったのかもしれないけれど、あれでもし彼らまでもがウェルカムモードだったりしたら…と想像するとうすら寒いものを感じます。そんな事態はまず起こり得ないのでしょうけれども。
念のため併記しておきますが、わたし自身はK-POPおよび韓国文化そのものに何らマイナスの感情を抱いておりません。K-POPにもJ-POPにもジャズにもロックにも演歌にも優れた曲があり、凡庸な曲があり、記憶に残る曲とそうでない曲があると思います。そして、その基準は十人十色だとも思います。全ては好みの問題です。おやすみなさい。