almost everyday.

its a matter of taste, yeah

もう知識はいらない

日本における進学率(四年制大学)は、2009年に50%を超えたのだそうですね。ほんの10年前にはこの数値がぎりぎり30%台だったことを思えばおのずと「少子化マジやばい」みたいな考えが脳裏をよぎるわけですが、まあそれはそれとして。
きょう、ある方と打合せの合間に世間話をしていたときのこと。彼には息子さんがいらっしゃるそうで、国立の大学院を出たものの就職先が見つからず大変苦労なさっているのだそうです。いわく「もうね、ほんとに情けなくって。あれだけ勉強してまともな職に就けないんだったら、中卒でも高卒でもどんな仕事でもとりあえず働いてくれたほうがまだマシって話ですよ。立派なのは学歴だけだなんて、ねえ。ははは」。
学歴。それが就職活動の場において非常に重要視されることは理解しております。が、卒業後もそれを何かの勲章みたいにひけらかしたがる気持ちってどこから来るんでしょう。まして息子の学歴を。過去の栄光より何より「そいつが今なにやってるか」がいちばん重要なんじゃないのかなーと思いましたが、当然ながらそんなことは口が裂けても言えません。いや待てよ、これはそもそもただの素直な愚痴なのか、わたしが過剰に反応してるだけなのか。このひとはわたしの最終学歴など知るよしもないわけで、仮に知ってたとしたらおそらくその話題は避けるはずで、いやもしかしたら敢えてこちらを攻撃してくるのかもしれませんが、とりあえず。世間一般から見れば自分は、フルタイムで働いてようが税金各種納めてようがこの先どんな善い行いをしようが、どう頑張っても院卒のニートより劣るんだなあ。というようなことをあらためて実感したのでありました。それが正しいかどうかはさておき、ごく一般的な感覚として「そういうふうに見られてるんだな」って。まあ、それが現実だよねえ実際のところ。何しろ、今や学生の半分以上がどこかしらへ進学してるわけだし。彼らと比べたらとうぜん知識もないわけだし*1。逆に、これをもし彼の息子さんが聞いたら「俺は高卒レベルかい!」と憤慨するのかな。するだろうなあ。
自分は進学するつもりなどなかったし勉強もしなかったし、それに何より4歳離れた姉vs親の進路バトルを目の当たりにしてきたことから「無駄な争いは避けよう。とっととまともな就職先を見つけよう」と考え高1でバイトを始め、貯めたお金で通信教育を受けて、その他もろもろ力を尽くして現在の職にありつきました。それらは全て自分の意志に基づく行為だったし、自分にはそれが合っていたと思います。だから恥じることなどない、はずなんだけど、こういうことがあるたびについ「おとなしく、目立たずに、なるべくひっそり生きていこう」みたいなことを考えてしまうんだよなー。表向きはしおらしく謙虚でいるほうが何かとやりやすい世の中なので、下手に出てれば「なかなかやるじゃん高卒なのに」とお褒めにあずかることもあったりしますが正直なところ、高卒という括りで十把一絡げにされるのもそれはそれで複雑なんですよね。わたしは今さら何を言われても驚かないしへこまないけど、このご時世だと「ぜったい進学したかったのに諦めざるを得なかった」という若者がきっとたくさんいるはずで、そういうひともいるんだよ、生きとし生けるものがみな進学してるわけじゃないんだよ。ってことを頭の端っこにでも置いておいてもらえたら嬉しいなあと思います。おやすみなさい。

*1:経験だったらあるけどな