almost everyday.

its a matter of taste, yeah

大人のような子供のような不安をごまかそうとしている

MONOBRIGHTのDO10!攻略特典、届きました。封筒を開けた瞬間「え?これだけ?まさか」と思わず口に出してしまった自分は心が狭いのでしょうか。同士の感想が知りたいです。とても。20日のUST忘年会はどんな感じになるのでしょうね。演奏なんかもあるのかしら。あるといいなあ。
そうそう。MONOBRIGHTといえばDOESとのスプリットツアー先行予約、とれました*1。アウトラインもパースクも行くよ。たのしみです。せっかくの機会なので何らかのサプライズを期待したいな、たとえば銀魂つながり(なつかしい)を思い出して「アナタMAGIC」と「曇天」をとりかえっこ演奏するとか、そういうの。いや、もちろん本家もちゃんと聴きたいですけど。長いセットで見られるといいな。セッションもあればなおいいな。年明けのたのしみが増えました。うれしい。
きのう夢中になって読んだ中村文則「迷宮」について少し。切れ味鋭い文章とはりつめた空気がまるで毒みたいにしみこんでくる感触、痛いようで苦しいようでそれでもふしぎに気持ちよくて、自分も首を絞められてるかのようでした。ひきこまれた。おもしろかった。鮮やかだった。ただ一点を除いては。
(以下、一部内容に言及しています。)
あの日以来「文学のひとたち」がまるで義務か何かみたいに、あるいは軽薄なトレンドみたいに、こぞって地震津波原発を作品のエッセンスに加えたがるのは何故なんでしょうね。それも、さも深刻そうに傷ついたみたいに。それが仕事だからと言うのであれば、エッセンスじゃなく主題としてがっぷり四つに組んで書いてくれたらいいのにと思うんです。「少しは時事ネタ入れとかないとね」みたいなノリならやめときゃいいのに。何故ってそれは、それまで楽しく読んでた作品そのもが次第に薄っぺらく思えてきてしまうからです。「何にそんなに傷ついてるの?」という疑問が浮かんでしまうからです。「あなたは何も失ってないでしょう?」という猜疑心が頭をもたげてしまうからです。そして「わたしも、何も失っていない」ということを思い出してしまわずにいられないからです。傷ついたふり、失ったふり、それはすべて自分のこと。結局、ぜんぶ、他人事なんでしょう?その問いは回りまわって、最後に自分へ向けられるんです。後ろめたいんでしょう?どうしていいか分からないんでしょう?ねえ。
ふう。この件に関しては、どうにも恨み言っぽくなっていけません。辛い思いをしているひとはたくさんいます。わたしも(一時的にではあるにせよ)ささやかな不便を被りました。ただし。程度の違いはあれど、ここにいる全てのひとの中であの問題は「現在進行形の日常」として続いているんです。続いていくんです。これからずっと、ずっとずっと長いこと、ここに居続けるかぎり。だから、どうしても一過性の表現には違和感をおぼえてしまいます。それが感傷的だったりヒロイックだったりすると特に。それはもしかすると書き手側云々ではなく、文学というジャンルやフォーマットに由来する問題なのかもしれませんが。
新見が探偵と顔を合わせる場面の余震、紗奈江が新見を引き寄せるための口実、それだけだったらむしろ他人事っぷりが別の意味でのリアリティを醸し出したと思うのだけれど、新見の独白でそこに触れるというのは何だかいかにもとってつけた感がありました。ここだけ、ぽっかり浮いてる気がした。震災のことに触れなくたって、そのままですごくおもしろかったのに。むしろ、そんなことを思う間もなく物語へ引きずり込んでほしかったのに。と、福島生まれ福島育ち宮城在住歴2年弱(勤務地:福島)の30代は思いました。これさえなければ、何も思いわずらうことなく一気にずんずん読み進められたのにな。あくまで個人の感想です。おやすみなさい。

*1:実際のところ、この辺りが外れたことは一度もないのだけれど