almost everyday.

its a matter of taste, yeah

完璧な絵に似た


「よく晴れて暖かい一日になるでしょう」という予報を信じて出勤したのに、駅前の温度計は9.2℃を指していたのに、それなのに。日が当たらない建物の中はおそろしく寒く、同じフロアの誰もかれもがもこもこに着ぶくれそして背中を丸めて働いてました。まさか今さら貼るホッカイロに手を伸ばすはめになるとは思わなかったよ。寒すぎるよ。
わたしはもしかしたら本当に、二年前のあの日にすっかり気が済んでしまったのかもしれません。例の品々もまだ注文してないし、週末から始まった展覧会にも足を運んでいないばかりか、そもそもこの春東京で催されているライブにだって行こうとはしなかったのでした。その気になれば何とかなったかもしれないのに、どうして?嫌いになんてなるわけないし、今さら飽きるということもないし、考えれば考えるほど「気が済んだ」としか言えないような気がしています。「満たされた」と言い換えてもいいかもしれない。あの圧倒的な夜の記憶を、別のよく似た記録で上書きしてしまうことに躊躇せずにはいられないんです。似て非なるものはまだ欲しくない。侵されたくない。
結局のところ、わたしはきっと待ちすぎたのだと思います。思春期まっただ中からの20年はおそらく、あまりに長かった。ならばその余韻はまだまだゆっくり味わえるはず、のんびりゆっくり匂いをかいだり舌の上でころがしたり咀嚼したりしてみることにします。あれから何度も夢に見てる、何度も何度も、何度でも。おやすみなさい。