ハイハイわかりましたよそうですね全くあなたの言う通り 言い訳する気なんかございません ところでそろそろ踊っていい? /After all
— STAn bot (@STAn_words) 2015, 11月 10
- というわけで。有り余る文才にいつもくらくらさせられてるブログでこのような話題が出てきて「そうそうそう!」と首がもげるほど頷いた話。
- これねー。わが家は既に結婚10年、そういう場面もそろそろなくなりつつありますが、稀にふと「お子さんは?」「いませんよ」「あっ(察し)」みたいな腫れ物感に打ちのめされる瞬間があり「めんどくせえ…」と毎回げんなりしております。
- ただし。仮にうちに子がいたとしても、きっと同じようなことは往々にして起こりうるんですよね。よくある話だと、待望の赤ちゃんが1歳の誕生日を迎えた頃に「で、二人めはまだ?」「ひとりっ子なんてかわいそう」みたいな話が出てきてげっそり…といった事例はそこらじゅうにゴロゴロしており「今それどころじゃねえんだよ!歩き始めたばっかで目が離せねえんだよ!外野がガタガタ抜かすんじゃねえ!」といった友人たちの呪詛も枚挙に暇がなかったりします。「○○なんてかわいそう」が、この世の中にはあまりにも多すぎる。
- というわけで。ある時、ものは試しと思いつくまま「○○なんてかわいそう」の実例をライフイベント時系列に沿って洗い出してみたことがあったんですね。すごかった。ささっと思いついただけで軽々20個くらい出てきた覚えがあります。当時はよほど腹に据えかねてたのか、いつか書いてやるという意欲満々だったであろう下書きが丸ごとEvernoteに残ってました。以下、当時のお蔵出しです。お時間ありましたらどうぞ。
- 恋人がいなくてかわいそう
- 学歴ショボくてかわいそう
- 就職できなくてかわいそう
- 結婚できなくてかわいそう
- 子供がいなくてかわいそう
- 二人めを授からなくてかわいそう
- 息子/娘しかいなくてかわいそう
- ママ友いなくてかわいそう
- (経済難による)共働きでかわいそう
- (経済難なのに)専業主婦でかわいそう
- 待機児童でかわいそう
- 保育園児でかわいそう
- 賃貸住まいでかわいそう
- ローン地獄でかわいそう
- 息子/娘が結婚できなくてかわいそう
- 孫がいなくてかわいそう
- 帰省してもらえなくてかわいそう
- 同居してもらえなくてかわいそう
- 介護してもらえなくてかわいそう
- お墓がなくてかわいそう
- いやー、すごいわー。いくらでも出てくるわ-。「かわいそう」がゲシュタルト崩壊しそうないきおいだわー。ということはですよ。これらを全て跳ね返すには、
- 中高あたりで恋人と出会い
- いいところに進学して
- いいところに就職して
- いいタイミングで結婚して
- いいタイミングで子供を授かり
- いいタイミングでn人めを授かり
- 息子/娘がどちらもいて
- いい感じのママ友ネットワークに収まり
- 「生活に追われて」以外の理由による共働き、もしくは裕福な専業主婦となり
- 自らの手で子育てもしくは親の手を借りる・シッター等を雇うなどして
- 現金一括・親の援助・ごく短期のローン等により終の棲家を手に入れ
- 息子/娘はまっすぐグレずにすくすく育ち自らと同様の道を突き進み
- いい感じに結婚してくれて
- いい感じに孫を産んでくれて
- 盆暮れ正月必ず帰省、もしくは同居してくれて
- 最後はもちろん自宅で介護して看取ってくれて
- 先祖代々もしくはぴかぴかのお墓に入れてもらえる
- …みたいにウルトラ順風満帆な人生を全うする必要があるわけです。さもないと、いつかどこかのタイミングで「かわいそう」と見下されるかもしれない可能性は一生ついて回るってこと。さらには、仮にもしこれらすべてをクリアできたとして、それでもなお、なんか言いたい奴は意地でもなんか言うんですよきっと、あら探しに血眼になって。言う奴は何があろうと何かしら言うし言わないひとは絶対言わない。そういうもんなのです、たぶん。
- いざそれっぽい項目を列挙してみて、上記のような無間地獄に気づいたときは愕然としましたよね。もうね、きりがないですよ。そんなんならもう、言いたい奴には言わせておけばいいですよ。いちいち付き合ってらんないよ。…という、多少ヤケクソ気味ながらある種の悟りにも似た境地に至ったのでした。無理無理無理ー。類希なる運のよさにたゆまぬ努力を重ねたとしても、こんなん達成できる気がしないもの。
- ところで。こういう(世間一般には幸福とみなされているらしい)要素を満たせば満たすほど幸福度が上がるかというと、必ずしもそうではないのですよね。何故ってそれは、幸福の基準も優先順位も十人十色でバラバラだから。子供さえいれば最高幸せ何もいらんというお母さんはいくらでもいそうだし、金金金カネ銭以外俺ぁ何も信じねえと肝に銘じてる経営者だっているでしょう。結婚してようが子供がいようが裕福だろうが不幸な人は不幸だろうし、独身子なし貧乏でもまあ悪くないというひとだっているところにはいるのかもしれない。結局のところ、そのひとが幸せかどうかなんて、外野にはわかりっこないのです。いや、本人ですらわかってないかもしれない。
- そもそも幸福度なんてのは、相対評価で「あの高スペックには敵わない」「俺でもきっとあいつよりはマシ」みたいにいくらでも満足度が変わってくる曖昧であやふやな目安に過ぎないのです。母集団次第で評価が変わる偏差値みたいなものなのです。だからこそ秀美くんはガリ勉秀才に「でも、おまえ女にもてないだろ」と言い放ったのだし、ホフディランは鼻持ちならない金持ちを指して「ハゲてるぜ あそこのおやじ」と歌うことで溜飲を下げたのです。たぶんね。
- もちろん、自分にだって身に覚えがないとは言えません。かつてわたしの最終学歴をさんざん貶してくれたおっさんの息子が高学歴ニートと知ったときは「ざまあ見やがれ!」って思いましたもの、ご本人には申し訳ないけど。そいつの中には大卒未満の正社員<旧帝大卒の無職という揺るぎない正義があるのだろうし、わたしはわたしで頭脳明晰でも無職<学がなくても納税者という実績にすがりたいのです。そりゃ仕方ないですよね。歩み寄れないですよね。信じるものが違うんだもの。根っこの部分は宗教戦争と一緒だもの。相容れないんだもの。好みの問題だからね。
- でもね。これが仮にもし、常日頃からものすごくお世話になってる優しい上司の息子の話だとしたら風向きが変わってくるはずなんですよ。「大変だな」と理解を示し「運が悪かったんだろうな」と不運を嘆き「いい就職先が見つかるといいな」と願いこそすれ、上記のようにザマミロなんて絶対絶対何があろうと槍が降ろうと決して思わないし思えない。
- はたまた、全く縁もゆかりもない人が同じ状況で苦しんでるとしたら「へーそーふーん」「だから何?」「よくあることでしょ」「それって単に本人の努力が足りなかっただけじゃない?」くらいのことはふつうに考えてしまいかねない自分がいるのもまた事実なのです。完全に他人事として。
- つまり。自分にそういう話を振ってくる輩というのは、こちらを下に見てるか嫌ってるかどうでもいいと思ってるかのいずれかだろうなーとある程度想像がつくわけです、これまでの付き合いかた次第で。そんな奴、こっちから願い下げですよ。付き合うだけ時間の無駄ですよ。仕事がらみや血縁なんかで切るに切れない事情があるなら、右から左へ聞き流しときゃいいんです。わたしのことを嫌ってる奴に、無理して好かれる必要などない。そう考えたらだいぶ楽になりました。
- それでも納得いかなかったら、自分が持ってて相手が持てないものを探して内心こっそり嘲笑ってやればいいのです。もちろん口には出しません。あくまで心の中でだけ、です。うふふふふ。よい週末を。