- けさの車窓から大きな虹が。
- 今の職場はとても狭くて、より正確に言うならば面積と人数と資料のバランスがどう考えてもおかしくて、人はそれほど多くないのに資料がやたら多いんです。天井近くまで堆く積み上げられた段ボールは消防点検のたび見咎められるし、片付けたら片付けたで別の資料が雪崩れ落ちてくるし、一念発起して棚を空ければすぐ同僚に「やった!ここ使っていい?」と事後報告でかっさらわれるしで、とてもじゃないけど個人の努力じゃどうにもならない域に達してしまってるんです。
- そんなこんなで各々デスク周りにも常時資料が溢れかえってて、片袖机に収まりきらないバインダーをキャスター式ラックにぶち込むことでどうにか場所を確保するも、当然ながらこの置き場所にさえ困るわけです。さらに全員がこれを手の届く範囲に置きたがるもんだから、デスク間を歩いて移動するのも困難なほどに間隔が狭い。
- 結果、せっかくの片袖机は物理的にものすごく引き出しづらくなってしまって、使用頻度の低いものをあれもこれもと放り込んでおくブラックボックスと化してたりします。本来であれば筆記用具などを入れておくための浅い引き出しが特に悲惨で、前述のラックをどかさなければ5ミリも開かない位置関係。名実ともに開かずの引き出しになってしまってる。
- そのような引き出しをどう使うかと言えばだいたい相場は決まっていて、わたしの場合はありとあらゆる備蓄食料をここに保管しています。お茶やコーヒーは言うに及ばず、飴やチョコレートなどのちょっとしたおやつ、昼食がわりのスープやカップラ、SOYJOY的な栄養補助食品、ここぞって時のグロンサンにエスタロンモカ、ビタミン剤に鎮痛剤、割り箸ティッシュにアルコール除菌ウェット、張るカイロ。停電しても断水しても新幹線が不通になっても、数日程度ならこれで多少は凌げるんじゃね?という備えを常に確保してます。
- こういうものは大抵どれも日持ちするけど、油断してると肝心な時に期限切れ、といった事態も往々にしてあるので平常時から適度に入れ替えを試みなければなりません。とは言え、開かずの引き出しをガタガタ言わせてひとりモソモソ食らうのもアレなんで、おやつの類は周りのひとと分け合うことも多いです。同僚が出張に出かける時とか、自分が先に仕事を切り上げて帰る時やなんか、ちょっとしたタイミングを見計らってぽんと手渡す。なるべく恩着せがましくならないように。
- 他のひとがどう思うのかはわからないけど、わたしは以前こういうささやかな気遣いに救われたことがあります。決して大げさな話じゃなく、地獄の底で光り輝く蜘蛛の糸を見つけたような気持ちになったこともある。それにしがみついて助かるかどうかは運と努力次第だけど、自分は決して一人ではなく、少なくともこの状況を知るひとがいる、気にかけてくれるひとがいる、その事実だけでふっと楽になれる。そういうことがありました。何度も何度も。
- その安心をくれたかつての先輩たちとは既に遠く離れてしまって、直接恩返しをできる機会はもう二度と訪れないかもしれません。ならば、今は自分がその安心を別のひとに繋げばいいのかもしれないと思うんです。もしかしたら「あいつうぜえ、いちいちめんどい」などと疎まれている恐れもあるし、それはそれで仕方ないし、そもそも自己満足の域を出ない話ではあるけれど、少なくとも何もしないで傍観するよりはマシだろうなって。
- ここには「自分が後で罪の意識を持たなくて済む」という極めて打算的な理由のほか、「そもそも、今の自分は楽をしている」という負い目のような気持ちもあります。さしあたって今のところ介護も子育ても避難もしておらず、仕事も軌道に乗っていて、日常的にしんどい思いをほとんどしてない。何なら、遊んでばかりいる。だったら、身近なひとの重たい荷物のうち何割かは進んで背負って然るべきじゃね?というような。少なくとも、身近な誰かのSOSを察知した時くらいは。
- とりえのない凡人を自認するからにはせめて善良、かつ寛容でありたい。その裏側には「お前のような役立たずは要らない」と職場から家庭から社会から世界から切り捨てられる恐怖が常にうっすら漂っていて暗い気持ちになりますが、足りないものを嘆くよりは手にしたものを慈しんでいたいと考えています。
- とは言え、甘いものが苦手なひとにチョコを差し出すのは普通に迷惑でしかないので、柿の種・フリスク・ミントガム等も取りそろえておかなければ。小川洋子さんの掌編「缶入りドロップ」、あの運転手さんにわたしはなりたい。おやすみなさい。
- 作者: 小川洋子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/03/02
- メディア: 文庫
- 購入: 5人 クリック: 20回
- この商品を含むブログ (43件) を見る