almost everyday.

its a matter of taste, yeah

エリック・クラプトン〜12小節の人生〜

  • 自分はもともと「泣きのギター」と呼ばれる類のプレイスタイルがあまり好きではなく、その音色にどこか内省的なものを感じていました。音を奏でる喜びや快楽に乏しく、自己憐憫たっぷりの湿っぽい音楽。それはそもそも他者に聴かせるためのものではなく、傷ついた自分を癒す手段あるいは拠り所のようなものと解していました。
  • そんなわけで当時の自分はクラプトンを好んで聴くこともなく、むしろやや敬遠していた節すらあります。それで今回、生い立ちや半生を知って合点がいったところがいくつも出てきました。
  • 特に、幼くして母に捨てられたという描写が三度にわたって繰り返されるあたり、根源的な「女への怒りと失望」みたいなものが消えてなくなることはないのだろうと思いました。それは子にとって悲劇以外のなにものでもないし、本人には何の非もありません。ただ、第一言語=ギターと言って差し支えないほどコミュニケーション能力を演奏に全振りしていたっぽいクラプトンの内向性と卓越した技術がここに加わるとあら不思議。「男は黙ってギターソロ!」みたいな、女子供は引っ込んでろ的ホモソーシャルな身内感が醸成されるわけです。
  • とは言え、まあ、そこはそれ。圧倒的男性社会たる当時の音楽シーンにおいては多かれ少なかれそういう空気があったわけだし、時代がもたらす影響だって大きかったろうし、そこを今さらとやかく言う気はないのです。ただ、クラプトンの場合はその寡黙さゆえ、聴き手に深読みを許す余白がより大きかったのではないか。彼をギターヒーローとして崇めるだけならまだしも、その苦悩や嘆きを雑に自己に投影して悦に入るようなある一定の層が訊いてもいないうんちくを語り出してきた時は心底面倒くさかったっけな…という忘れたい過去が甦ってきてクラクラしました。いわゆる中二病的若気の至りなら可愛いと思えないこともないけれと、相手が当時既に立派な中年だったもんで面倒くささ5割増だったもんな…。平たく言えば、当人はさておき信者がひたすら鬱陶しかったという話です。
  • 紆余曲折を経ての終盤、B・Bキングの粋な遺書とも呼べそうなMCは大変クールだったし、娘と和解し新たな家庭を得るなど大団円に持ち込みたい感がひしひしと伝わってきたのだけれど、クラプトン自身がぽつり洩らしたとあるひと言でもろもろ台無しになった気がしないでもないです。というのも、現在の妻を褒めそやしたその口で「男冥利に尽きる」と言い放つのはなんかもう、あああこんだけいろいろあってもやっぱり怒りの炎は消えないんですね…心の底では女を屈服させたいんですね…?と虚しい気持ちになったんでした。つらい。女としてこの世に生を受けた身としては、ひたすらつらくて悲しいです。おやすみなさい。