almost everyday.

its a matter of taste, yeah

オプティミスティック

昨夜はずっと、隣の部屋の派手なけんかとはげしいセックスに邪魔され眠れず。あのう、ここは日本ですよね?ちょっとアムールしすぎですわよ、あなたたち。くれぐれも死なない程度にお願いします。ああ、げんなり。鉛の朝。

ごく一般的に考えて、香典に新札を包むのは失礼であると言われます。「その日が来るのを待ち構えていたように思えて慎みがない」というのがその理由です。同様に、お通夜の席では透明なストッキングをはくべきだという意見もあります。「突然のことで、黒いストッキングを用意する時間がなかった」という姿勢をあらわすため、だそうです。

これらは普段の生活をおくる上でのマナーですが、インターネット上にもそういうものがあればいいのにな、と思うことがあります。特に「有名人の訃報直後、嘆き悲しむ内容のみのお悔やみを書きなぐる」というのは慎むべき行為なのではないかと。家族や友人、または近しい間柄の人が亡くなったのならパニックに陥ってもしかたないけど、故人に会ったこともない人間がそういう行為に出てしまうのはあまりにも傲慢ではないか。と、思うのです。故人への思い入れについて「誰が一番」と順位をつけることは不可能だけれど、少なくとも近親者の悲しみには遠く及ばないはず。いちばん悲しいはずの人たちが諸々の手続きに忙殺されている間、何もしなくていい人がのうのうと悲しみに浸っている現実というのは、何かが間違っているように思えてならないのです。

日本には表現の自由があります。あからさまな引用を控えれば、そして他人に迷惑さえかけなければ、大抵のことはアップできます(単に野ざらしと言えなくもないですが)。しかし個人HPというのは基本的に、また絶対的に管理人の俺様ルールに基づいて運営されるものですから、個人的なモラルというか精神的支柱のようなものがなければすぐに内容が不明瞭になってしまいます。自分は、びしっと一本、背骨の通ったHPが好きです。堂々としていながらも、謙虚で慎み深いHPが好きです。敬愛するひとの訃報の後でもぐしぐし泣き言連ねたりせず「悲しいですけど、安らかに」などと静かに言えるHPが好きです。自分もそうなれれば一番いいけど、少なくともその逆にだけはならないよう気をひきしめようと思いました。もちろん、これは普段の生活においても言えること。

傲慢なだけの人間、にはなりたくないのです。どうしても。