almost everyday.

its a matter of taste, yeah

働かざる者食うべからず

午後から出張、この大雨の中を研修会へ。通勤路の側溝は勢いよく溢れ出し、積もった枯葉が泥山をなしていました。ひー。研修会場には暖房がなく、それもだだっ広い部屋の前半分くらいしか使ってないでやんの。寒くて何も頭に入んないよ。凍えそうですよ。殺す気ですか。というわけで同行の上司と口裏合わせて、そのまま直帰してしまいました。あー寒かった。

ところでわたし、以前から何となく「ピュア」「イノセント」「フラジャイル」などという言葉を平然と使う人はなんかやだなぁ、いけすかないなあ、と思っていました。その理由というか根元というか、そこらへんのもやもやが何なのか自分でもよくわからずにいたのですが。本日それがどういうわけか、ほんの少し分かったような気がしたのですよ。以下、おのれの頭を整理するためのメモ。

男だろうが女だろうが歳くってようがなかろうが、ピュアでイノセントでフラジャイルな人というのは存在します。それは間違いありません。ただ、そのラベルを自らに貼り付けて自己弁護しようとする人は、その時から、したたかでふてぶてしくて鼻持ちならない奴になるのです。順序を逆にして考えるなら、そんなことを口に出すような人は最初から純粋でもなければ、傷つきやすくも脆くもないのです。羊の皮を被った狼です。「傷つきやすい」とみなされることで得られるメリットのみを手に入れるべくそれを声高に主張している、ただそれだけのこと。その矛盾こそが、わたしのいらいらの正体でした。その言葉を使われてしかるべきひとは、大抵いつも隅に押しやられ潰され忘れられてしまいます。わたしはそのひとを守りたいのに、それより先に「私ってほら傷つきやすいからさー」などと牽制されてしまったら、こちらは何も言えないじゃないか。言ったもん勝ちじゃないか。そんなのはおかしいです。悔しい。ああ悔しい。

しかしおそらく、その「自称・傷つきやすい人」にしてみれば。「誰かにそう言ってほしくてしょうがないんだけど、誰も言ってくれないから、仕方なく自分で言ってるんだよこんちくしょう!」という気持ちもあるのだろうな。でもね。誰だって疲れたときは「がんばったね、いい子だね、おーよしよし」って頭を撫でてもらいたいに違いないと思うのですよ。だったらまずはそういう相手を見つける努力をすべきなのであって、周囲に不幸ぶりをアピールするのはとても厚かましい行為なのではないかと。ってこれ、しばらく前の自分もここで似たような泣き言ほざいてましたねそういえば(さすがにピュアとかそんな言葉は使いませんでしたけど)。でもちょっとだけ改心したので、当時の自分には「甘ったれんじゃねえ、この腐れボケ!」と言ってやりたく思います。甘えるのはごく、限られた相手にとどめなくてはなりません。と、自戒を込めて。そういう相手が現在そばにいる、という幸運にも感謝しなくちゃいけないのだろうけど。

あ、それともうひとつ、すごく悲しいというか情けない気分になったことが。「権利を振りかざす前に、まず義務を果たせ」って、これ小学校か中学校あたりで習いませんでしたっけ。いい年した大人が自分のことしか考えないなんて、自分のしたことが周囲に及ぼす影響なんかそっちのけで保身のことしか頭にないなんて、そんなのって、あまりにもみっともなくて笑うしかないですよ。ふはは。恥を知りなさい、恥を。

お風呂あがりにテレビをつけたら、さんま御殿に野ばらさんが出てました。笑顔があまり似合わないというか、つんと顎あげてすましてるほうが絵になるお方だなぁという印象は変わらず。いつの日か、徹子の部屋に招かれる野ばらさんを見てみたい。