almost everyday.

its a matter of taste, yeah

掃き溜めに鶴

「たまたま男性用生殖器をひと揃い持って生まれてきたというだけで、どうして車のトランスミッションを修理できるとみなされなくちゃならないんだ?」というのは、10年ほど前に村上春樹氏が自身のエッセイで引用していたフレーズですが(いま手元に本がなくて正確な文章を思い出せないのだけど、これで大体あってると思います。たしか『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』だった気がする)。女子にもこれと似たような思いをさせられることがよくあるわけで。今日の場合は「たまたま女子であるだけで、どうして花をきれいに活けるのが得意だとみなされなくちゃならないんだ?」といった具合でした。うーんうーん。

ボスがお客さんから花芽のついた桃の枝をいただいたらしく、たまたまその場に居合わせた人(30代男子)に「ちょっとこれ飾っといてよ」と押し付けたのが回り回ってわたしのとこまで来てしまったというわけ。いやね、いいんですよそれは別に。図体のでかいおっさんが可憐なピンクの枝を相手にちょこまか立ち動く、っつうのも視覚的にきついかもしれんし。それよか女子がやってくれたほうが穏当な気がする、というのはまあ自然な成り行きかもしれません。うちの職場の男女比率は9:1くらいで圧倒的に男子ばかりなので、たまたまわたしにそういう役目が回ってくる確率も高いし。運がわるかったと諦めるしかないのかなあ、と。

ただね、あなたたちは「こういう時代ですからね、女子の皆さんも我々と同じ働きぶりを見せてくれなきゃ困りますよ」というスタンスでいらっしゃるわけで、実際にわたしたちは日々そういう働きをしているんですよね。重たい物だって運ぶし、危ない仕事も汚い仕事もひととおりは同じようにこなしてるわけですよ。だとしたら、前述のいわゆる「女子的な仕事」をこちらに押し付けるばかりで見て見ぬふりをするというのはやはりおかしいんじゃないかと思うわけです。男女を問わず得意なひとが率先してやればいい、というのが理想的なのでしょうがなかなかそううまくはいかないだろうし、最終的に女子にその役目が回ってくるのはまあある程度まで仕方のないことかもしれません。でも。せめて「やろうとする意志」くらいは見せてくださいよ。と、そういうことです。わかりやすくそれも若干大げさに言うなら「共働きであり続けることを望みながらも家事はすべて妻に押し付けたい夫」みたいなものでしょうか。勝手だ。勝手すぎる、そんなの。

それはさておき、たらいまわしにされた桃の枝が最終的にどうなったかと言うと。男ばかりの職場に枝切り鋏(舌切りすずめのおばあさんが持ってるような、ペンチくらいの大きさの、刃がちいさくてよく切れそうなあれです)などという気の利いたものが存在するはずもなく、至極てきとーにラッピングを外し、これまたてきとーな花瓶をそのへんから探してきて、ざぶざぶ洗って水を張ってそのまますとんとぶちこんだだけ。という、枝にしてみれば災難としか言いようのない結末を辿ることとなったのでした。なんだ、これなら結局誰がやってもほとんど同じじゃん?みたいな。元を正せば、こんなところに風雅なお土産を携えてやってきたお客さんがいけないんじゃないのか?なんてことまで考え出す始末。もっとおもしろいオチがつけばよかったのになあ。まあいいか。おやすみなさい。