almost everyday.

its a matter of taste, yeah

I’m a driver, I’m a winner; things are gonna change I can feel it

  • すごくよく寝た。昨夜なんて22時前には夢の中だったはず、にもかかわらずなんでこんなに眠いのか。わたしの中のホルモン様、いくらなんでも今回ちょっと荒ぶりすぎじゃないでしょうか…?つらい。ねむい。とてもつらい。
  • ベックさんがグラミー最優秀アルバム賞とベストロックアルバム賞を受賞。うおおめでたい、しかしいかんぞ全く聴いてない。と思ったら、受賞アルバムどころかわたくしグエロまでしか聴いてませんでした。グエロが出たの、2005年…?実に10年ノーマークでした。だめだ、祝える資格がまったくない。出直してきます。
  • このところ自/己/責/任/論にまつわるコラムや論考がやたら目について、同調圧力とか自業自得とか村八分とか強者の理論とかいろんな意見あるのだな、いろんな立場や心持ちが複雑に混ざり合ってああいう糾弾に行き着くんだろうな、でも、実際のところはもっと素朴な「働きアリの憂鬱」みたいなやりきれなさがわりと大きかったりするんじゃないかな、という気がしてきたんでした。
  • つまり、構造としてはよく見るアレと大差ないのではないかと。いつもサボってばかりのヤンキーが気まぐれに掃除してたら褒められる、それを見てイラつきながらも不満を表に出せないその他大勢、みたいな。「常々真面目にやってるオレらが取るに足らない存在でしかないのに、なんであいつらが」というやりきれなさならわたしにも覚えがあります。あれは許せん。断じて許せん。
  • それとこれとを一緒にするのはいささか乱暴すぎるとしても、「夏に遊んでばかりいたキリギリスも安心していいよ!冬になったら国がまとめて面倒みてあげるから!」だなんてことになろうものなら「バカバカしくてやってらんねえよ」とアリの総スカンを食らうのが今のご時世なのだと思います。
  • あらゆる行為が自/己/責/任のもとに責められるのもおかしいと思うけど、その一方で「哀れみや慈しみの心を持とうにも限度がある」くらいの物言いは許されていいんじゃないのかしら。そして、その限度とは、個人の幸福度によって異なるものなのだと思います。列なすアリにも個々の意志はある、はず、でしょう。願わくば、名もなきアリにも国からのアメが与えられますように。ムチだけじゃなくて。おやすみなさい。