almost everyday.

its a matter of taste, yeah

マシマロは関係ない

  • ふだん行き来のない部署から問い合わせがありました。あいにく担当者は不在、しかし先方は急用、さらにここで昼休みに突入、と良くないタイミングが重なってしまったため一旦電話を切り、午後の仕事開始と同時に読んでもらおうと詳細確認を促すメールを送ったんですね、昼休み中に。そしたらすぐさま返事が来たので面食らったという話。それもメールではなく電話で。
  • こういう場合、言った言わないの水掛け論を避けるべく確実に記録を残したいという理由の他、不用意に相手の時間を奪わないという意味でも随時チェック可能なメールという連絡手段を用いたいところですが、どの組織にも年代や性別を問わずこのような「何が何でも電話が一番」というポリシーの持ち主が必ず一定数以上存在するので、申し訳ないけど毎回「めんどくせえなあ…」とため息をついてしまうのでした。
  • もちろん、使い分けはTPOに応じてその都度見極めるべきで、出先からの速報や病欠の申し出などは余程の事情がない限り電話により直接自分の声で伝えるべきと考えます。また、業務連絡ついでのちょっとした軽口なんかも、円滑に業務を進める上ではそれなりに有益と言えるでしょう。つまり「重大、または火急の用」および「敢えてメールを送るまでもない簡単な挨拶」を除けば、電話よりメールのほうが効率いいんじゃないかしら?と思うのでした。
  • とは言え。職場に於ける電話のやりとりそれ自体は、概ねビジネスマナーに則って展開する場合がほとんどなので苦手意識は特にないんですよね。単純に、作業を中断させられるのが煩わしいだけで。それより何より苦手、いやむしろ苦痛とさえ言えるのは、親や友人といった距離の近い相手との通話だったりします。
  • 通話の相手が夫ならいいんです。大体のこと、仕事の忙しさや体調なんかも概ね把握していて、距離が近いというよりはむしろ空間を共有できてるから。これが離れて暮らす親や友人だと、常に物理的な距離や時間が横たわっているのを感じてしまうんです。顔が見えない。こちらが投げかけた言葉への反応を、表情を読み取ることができない。あらゆる情報を声色と吐息と間合いから読み取らなくてはいけない。そのうえ全てが一発勝負。というのが、わたしは、とても怖いです。
  • 新年会の間じゅう、何でか理由はわからないけど30分に一度のペースでぐるぐる回り続けてたマシマロがたいそう格好良く響きました。マシマロは関係ない。本文と関係ない。おやすみなさい。