almost everyday.

its a matter of taste, yeah

花の名前をひとつ忘れてあなたを抱くのです

お昼で仕事を切り上げて福島へ。姉んとこのお舅さんの、納棺とお通夜に参列してきました。
お姑さんが亡くなられたのがこないだの11月。ということは、あれからまだ2か月も経っていないというのに。まさに後を追うような旅立ちです。姉から聞いたところによれば、今日はまさにお姑さんの四十九日だったのだそうで「完全に向こうへ行っちゃう前に、何とか追いつきたかったんだろうね」という話には誰もが目を潤ませずにいられませんでした。わたしがお二人揃ったところに出向く機会はめったになかったけれど、それでも、深い絆のようなものはちゃんと見えてたように思います。いかにも昔気質のお舅さんがまだ若かった頃、お姑さんにひとめぼれして猛アタックしてめでたく結婚に至ったといういきさつであるとか、その頃から身体がすこし不自由だったお姑さんをいつもさりげなくお舅さんがサポートしていたことであるとか、そういう些細なことがずっと頭の中をぐるぐる回って離れませんでした。曹洞宗では納棺の際、三途の川を渡る際に必要なお金や食べものや杖や草履をいっしょに棺に入れるのですが、もし本当にそうして川を渡るのならば、どうかその向こう岸でお姑さんに会えますように。と願いました。
わたしの両親は二人とも末っ子で、しかも揃ってきょうだいが多いものですから、わたし自身も小さい頃から幾度となく親戚の通夜や葬儀に立ち会ってきました。その頃は「悲しさ」や「寂しさ」というよりは「不思議な感じ」のほうが明らかに大きくて、「こないだまで喋ったり遊んだりしてくれたひとがどうしてこんなに小さく冷たくなっちゃうんだろう」「わたしの目の前にいたあのひとはどこへ行っちゃったんだろう」という違和感みたいなものばかりがずしりと重たく心に残ったものでした。
時が流れ、社会に出て成人してそれなりに広い世界を知るようになると、人の死に立ち会う機会も増えました。病に伏したり天命を全うしたりするだけでない、あまりに突然すぎる悲しいお別れもありました。それからさらに時が流れ、いま最も強く思うのは「いつかわたしもこうして誰かに見送られる」という恐れとも諦めともつかない圧倒的な現実にまつわるものごとです。それは50年後かもしれないし2週間後かもしれないけれど、いずれにしても、誰もあんまり深く悲しまなくて済むような死にかたができればいいなあ。とか、そういうことを考えてしまうようになりました。事故?ある程度までは自分の力で防げるはず。病気?これもある程度までは自分で何とかできるはず。自殺?まさか。できることならそこそこ平均寿命あたりまで可もなく不可もなくのんびり元気にやっといて、ある日突然発作か何かであっさり人生を終える。というのが理想といえば理想ですが、まさかそんなにうまく行ったりはしないんだろうな。わたしはどんなふうに死ぬんだろう。わからないけど、死ぬときに泣いたり苦しんだり大きすぎる悔いを残したりするのはつらいので、とりあえず目の前にあるものごとをいっこずつどうにかし続けて行こうと思います。おやすみなさい。