almost everyday.

its a matter of taste, yeah

真綿で首を絞めるような

天気予報では終日くもりのはずが、福島へ向かう途中であれよあれよと晴れ始め、結局なんだか中途半端に蒸し暑い日となりなした。朝ごはんには遅いけれど昼ごはんには早すぎる。という微妙な時間に部屋を出たので、ぎりぎり朝マックに間に合わず。レジに並んで自分の番が来たとたん、くるりとメニュー表を裏返されるなんて初めてですよ。思わず「えええっ?」と小声でつぶやいてしまったじゃないか。ごめんねチーフ(隣のバイト君からそう呼ばれてたので)。それまでぼんやり「たまにはベーグルサンドとか食べてみようかしら」なんて思ったりもしてたのにこの仕打ち。あああ。いろんな意味で気になっていたマックグランにしてみようかとも思ったものの、さすがに朝一発めの食事としては重そうなんでこれはまたの機会に。おとなしくテリヤキかじりつつ3ケタ国道をひたすら北上、実家に寄って味噌をわけてもらい(昔から隣町の作り味噌屋で買ってるやつで、慣れてるせいもあるんでしょうがとても美味しいのです。きゅうり何本でも食べられるくらい)、競馬場へ。福島競馬開催中につき「馬を間近で見たい」という相方とはしばし別行動。カルピスウォーターのボトルアイスはいつ食べても同じように美味しいです。それと生茶の夏バージョンもわたし好みのちょうどいい薄味。夏のいいところのひとつは、ビールとお茶の新商品がたくさん試せるってことだな。などと一人で納得してました。伊藤園の麦茶とか大好き。
すっかりいい気分になって、時間もまだ早いので郡山へ寄り道して帰ることにしました。TGMで友人への誕生日プレゼントを買ってセールをちらりとのぞいた後、内環のヴィレッジへ。以前メールでおすすめしていただいて以来、とても気になっていた藤代冥砂さんの「もう、家に帰ろう」をようやっと手に取ることができました。わたしはいまだに写真集の見方というかよみ方というか作法がよくわかっていなくて、写真だけがずらずら並んだ無言のページを繰っているとどこに焦点を合わせていいのかわからなくなることが多々あるのですが。これはページの隅に小さく添えられた言葉のひとつひとつが体温よりもわずかに高いくらいのあたたかみを放っていて、ページをめくるたびに肩の力がどんどん抜けていくような気がしました。着慣れたパジャマに着替えて恋人の眠るふとんへぱたりと倒れこむ瞬間の、あの小さなしあわせが隙間なく積み重なっていくような感じ。力の抜けた身体にしあわせが詰まりすぎて、しまいに胸苦しくなるのではないかとさえ思うほどに。それが少しこわいような気がして、今日のところは家へ連れて帰るのをやめておきました。次に見つけたらすぐ買っちゃうかもしれませんが。穂村さんの「もうおうちへかえりましょう」もそう。ヴィレッジに行って手ぶらで帰ってくるなんてなぁ、わたしも少しは変わったんだなぁ。もちろん、変わらない部分の方が圧倒的に多いんですが。

昔も今もわたしは常に、言葉というものに頼りすぎています。それが必ずしも良いこととは限らない、って自分でも気付いてはいるのですが、それでもやはり、「言葉にできない」というようなことをたやすく口にする人はだいきらいなのです。それはね、言葉に「できない」んじゃなくて単に「する気がない」だけなんですよ。誰もわたしを理解してくれないとかわたしの居場所はどこにもないの、なんてことを抜かす輩に限ってそう。当たり前じゃないか、自分で何も言わないくせに分かってもらおうだなんてそんな都合のいいことがあってたまるか。甘ったれんな。ほんとうにそう思います。こんなことばかり考えてるせいで友達が少ないんだろうけども。それはまあ、仕方のないことです。わかってる。わかったところでどうにもならない、というところまで。救いがあるんだかないんだか。

小腹がすいたので海苔巻きをつまみ、ほうじ茶飲みつつ家路につきました。遅いお夕飯は豚しゃぶごまだれそうめん(5月頃からこればかり食べてます)と卵とうふ、かぼちゃの煮物、ママンに分けてもらったきゅうりの浅漬け。明日は充電デーです。おやすみなさい。