almost everyday.

its a matter of taste, yeah

心に茨を持ちやすいひと

ふと気がついたこと。わたしの周りで「さびしがり」を自認するひと(あるいは、本人がそう認めたがらなくてもあきらかにそういう傾向が見てとれるひと)というのは、ほぼ例外なく「弟または妹」というポジションに置かれているようです。次男もしくは次女、または長男長女であったとしてもそれぞれ異性の姉や兄がいるという生い立ち、ってことですね。いちばん最初に生まれた子供への親の期待が大きいのはまあ仕方のないことだと思うのですが、2番めになった途端いきなりテンション下がってないか、ご両親?という家庭で育ったひとほどさびしがりに育つような気がします。考えてみれば、第1子としてこの世に生をうけたひとというのは程度の違いこそあれど、どことなく真っ直ぐで堂々としたところがあるもんなぁ。人生最初の何年間かを両親の興味と好奇心と愛情にまみれて過ごしてきたため、おそらくは本能レベルで「自分には愛される価値がある」という自信が備わっているのだろうと推測します。それに比例して期待やプレッシャーもずしりと重たくのしかかっているであろうことは想像に難くないわけですが、まあその程度の困難くらいは背負ってくれなきゃ割に合わないぜ。などと思う自分はもちろん第2子。うふふ。

加えて言うなら第1子には多かれ少なかれ「素直ないい子」的要素があるので、生まれた時点で既に遅れをとっているこちらとしては同じステージで勝負することもままならず、結果的に「要領はいいがややねじくれた子」として育ってしまいがちな側面があるということも見逃せないポイントと考えます。・・・・・・・・・・・・まあ、あれこれぐだぐだ書き連ねてきましたが結局何を言いたいかっつうと、ただ単純に「さびしいよー誰か遊んでよー構ってよー」ってそれだけなんですけどね。ああ、小せえなぁ自分。曲がってるなぁ根性。かなしい。

(念のため書いときますが、親や姉をうらめしく思っているというわけではありませんよ。そりゃ人並みに「妹って損だなぁ」と感じたことはあるものの、経済的にも気持ちの上でもほぼ不自由なく育ってこられただけで御の字でしょう。今ならふつうに、そう思えます。)

そうした理屈も手伝って現在、ものすごおぉく人恋しくてたまらなくって友達にメールしようか電話しようか迷ったあげくにやっぱり思い直してやめて、ちょうど電話を充電器に戻したところで3日ぶりにかかってきた相方(※ちなみにこのひとは第1子)からの電話の呑気な声に苛立ってついささくれだった返事を重ねてしまって、おのれの狭量さにずぶずぶへこんであらどうしましょう今夜はもう再浮上できないかもよ?というあたりまで落ちつつあります。何だかなー。そろそろ寝ますよ。おやすみなさい。