almost everyday.

its a matter of taste, yeah

アイムアライヴ

職場に献血カーが来ました。どんなにか、この日を待ったことでしょう!先月あたまに血液センターから打診があったその瞬間から早くも胸を高鳴らせ、その日の帰り道にさっそく鉄タブを買い求め、これまで舐めてきた苦汁(今年に入ってからは疾病および比重不足により連戦連敗だったのです)を晴らすべく日々精進して(とは言っても鉄タブ摂取とカフェイン自重のみですが)今日のこの日に備えてきたのであります。結果はばっちりOKラインのヘモグロビン値12.7、意気揚々と抜いていただきました400ml。いえーい。
それはさておき、カードにちらりと目をやって「きょうは400、だいじょうぶ?体重変わってない?」と訊いてきた職員さん、あなたは鋭い。さすがプロです。わたくし献血プロフィール上は52キロってことにしてありますが(これまでの経験上『51』だと断りなしに200mlとされる場合が多い気がするので。せっかくだから400ml抜かれたいじゃないか。というわたしの意見は少数派かもしれません)、今年あたまの水ぼうそう罹患後はどういうわけかほぼ50キロジャストをキープしているのです。あのとき久々に長らく寝込んだおかげで、身体の中に溜まった何かが落ちてくれたのでしょうか。それとも単に、ここ数年間慢性的にくたびれてるだけでしょうか。わからないけど真実は知らないままでいたほうがしあわせなんだろうな、という気がします。なんとなく。
すべてが終わってビニールパックにちんまり収まったわが血液を目の当たりにする瞬間は、ほかの何かに代えることのできそうにない充足感を味わうことができるものだなあ。と思います。こんな俺でも生きてるよ。温かい(であろう)血がそれなりにちゃんと流れてるよ!と自分で自分にうったえたいような、幸福感とも安堵感ともつかない困った興奮をもてあましてしまう感じです。そして、これは多分、自傷の習慣を持つひとにもある程度までは分かってもらえる感覚ではなかろうか。という気がします。
わたし自身、そういう行為に対して含むところは特にありませんが(まわりに迷惑をかけない範囲でなら、そういうことで気を紛らわすのもありだと思います。ただ、自分に近しいひとがそうだと知ったらかなしく複雑な気持ちになるだろうけれども)、どうせ同じ血を流すなら誰かにあげるほうがいいな。滅多にない機会なんだし、たまには「社会の役に立ててる」というよろこびに浸りたいです。たとえ偽善でも。おやすみなさい。