almost everyday.

its a matter of taste, yeah

あなたの言葉やぬくもりを思い出したら夕凪が

結論から言うと。「来月あたままで持つかどうか」とはらはらしていたおとうやんの容態は、とりあえず現時点では何の心配もいらないことが分かりました。
ことの発端は、義父母の一周忌を来月に控えた姉が「ひょっとしたら父ちゃんに万が一のことがあるかもしれないし」と念のため看護士さんにお伺いを立てたところから始まりました。その時、おとうやんは放射線治療を始めたばかりで強い痛みに苦しんでいる真っ最中。看護士さんはいたわるような笑みを浮かべて「…それ、もう少し早めることはできないかしらねえ」と返したのだそうです。さらに、来月に迫ったおとうやんの車の車検についても「…それは、ご本人には何も言わなくていいから。ご家族だけで整理していただいて大丈夫ですよ」との助言を賜ったとのこと。
そんなやりとりを受け、先回りして慌てに慌てた姉とママンから「これはもういよいよやばいかもしれない。下手すると今月末すら危ういかもしれない。てなわけで家族会議参集!」との連絡を受けたのがおとといの話。泡くって休暇とってそれでもどうにか平常心を保とうと試みつつやっぱり心は千々に乱れて車を飛ばして泣いたりしつつ福島へ駆けつけたのが昨日の話。重病人しかいないと言われる奥まった病室の扉を開けると、果たしておとうやんは先々週より目線も声もしっかりとして、ベッドの上にぺたりと座って退屈そうな顔をしていました。あれ?ほぼ寝たきりじゃなかったのか。わたしが誰だかわからないんじゃなかったのか。それともわたしが夢を見てるのか。
実際、長くてもあと数年しか生きられないだろう。というこの先の見通しが変わることはないのだそうです。ただし、その時が5日後10日後に迫っているわけではない。それは確かだ。とのことでした。じゃあ姉と看護士さんとの意味深なやりとりは何だったんだ?というと、看護士さんは「もう少し日程が早ければ、お父さんも法事に出席できるかもしれませんよ」「どのみち車の運転はもうやめてもらうつもりでいるから、後のことはお任せしますよ」という意味で言葉を濁していたっぽい。という結論に落ち着きました。濁すなよ!返してください、ここ数日間の俺の焦りとてんぱりと涙を。まあ、望まない予行演習ができたと思えば今後のためにならないとも言えない気はしないでもないけれど。
15時前に病院を出て、おゆうはんは相方ファミリーと一緒に。隠していたわけではないが結果的に黙っていたことになるここ1か月のおとうやん絡みのご報告など織り交ぜながら、心拍数が下がらない数時間を過ごしてきました。ご心配をおかけして申し訳ない。帰宅後は変な疲れがどっと出て、そのままふとんへダイブするいきおいで就寝。おつかれさまでした。おやすみなさい。