almost everyday.

its a matter of taste, yeah

常識はこれからもあっけなく変わっていくわ

  • わたしは元々、芸術点という評価軸をもつスポーツに興味を向けることができず、その最もたる種目がフィギュアスケートなんですね。興味がないので理由について深く掘り下げて考える機会もなく、長らく謎を謎のまま放ったらかしにしてたんですけど、一向に劇症化する気配のないインフルエンザAをもてあましつつ冬季五輪を注視するにあたり、その辺りについて何となく思いを馳せたりしてみました。その結果、わたしはきっと「綺麗に着飾ったアスリート」が「大きな舞台で大きな失敗をするかもしれない」という「異様に張りつめた雰囲気」を苦手としているのだな、という結論に至った次第です。
  • まず「アスリートが着飾る」という点について。フィギュアの他にはシンクロ、新体操などが挙げられますが、フィギュアほど強い忌避感を覚えることはありません。それは何故か。素人目にはさほどミスが目立たないからです。シンクロの選手が溺れることはまずないし、新体操でフープやクラブを落としたとしてもそれは一瞬のこと。しかしフィギュアには転倒があります。それもまあまあ結構な頻度で転びます。誰が見てもあからさまなやっちまったな感があり、得点や順位にもダイレクトに響く失敗。わたしを見て!とばかりに「着飾ったアスリート」が「失敗するかも」という懸念をはらんだ「張りつめた雰囲気」をわざわざ好きこのんで味わいたくない、という話です。
  • 野球で言えば、同点9回裏ツーアウト満塁の場面。打てば勝敗が決まり抑えれば延長へと突入するものの、打者は一時の敗北を味わうことになります。わたしにとってフィギュアスケートは、これに近いレベルの緊張を滑走者ごとに強いてくるスポーツと言えるわけです。きっつい。心臓に悪すぎる。ついでに言うと、一部のファンの常軌を逸した熱狂ぶりもおそろしいです。これはフィギュア、いやスポーツに限ったことではないのだけれども。
  • 仮にもし、フィギュアがすべてエキシビだったら喜んで見るんですよ、たぶん。ショーならきっと楽しく観られる。きれいなヒラヒラ身につけた人がにこにこしながら高い技術で舞い踊るのを観て、楽しくならない筈はないのです。ただ、競技としてのフィギュアスケートはいろんなものを背負いすぎてる感が強くて、観ていてどうにも楽しくなれず熱くもなれない。ただただずっとはらはらしてる。好みの問題ですけどね。
  • 体操選手がつり輪や平均台から落ちるのは見ててしんどくないの?という疑問についてですが、これはわりと平気です。体操にも独特の緊張感があるとは言え、あちらは衣装が華美でなく音楽もなくショウアップ的要素が極めて少ないため、粛々と技の正確性や完成度を競っているように見えるのが良いのかもしれません。
  • ところで、お昼頃までは男子モーグルの予選を見てました。モーグルはどうしてもエア技に目が行きがちですが、採点内訳はターン6割エア2割スピード2割と滑降技術に重きが置かれているあたり、素人目には凄さがいまいちよくわからなくて見応えがあります。解説が上半身の安定感についてしきりに言及するのを見聞きしてると、陸上競技のハードル種目にも似た面があるなーと思ったりとか。たまに前転のエア技が出ると楽しいです。