almost everyday.

its a matter of taste, yeah

病気と気力のせめぎあいについて

依然として、肩がひどく痛いです。きっちり寝れば治るかと思ったのに、前よりむしろひどくなりました。肩の筋肉の奥のしこりと眼球の裏のどろどろした血が、その場でひたすら足踏みしてるような感じ。駆けつけ一杯もっきり綺麗に飲み干したときの、全身の血が行き場を失い途方に暮れてしまったような脈打ち方です。血行がいいんだか悪いんだか、さっぱりわかりません。ほんとに意図せず涙目になるほどだるくてしんどくて、職場にいても身体を縦にしとくのがやっとでした。帰りたいよう。横になりたいよう。でも納期上がりの上司が先に半休取っちゃったよう。わーん。身体が弱ってると毒づく余裕すらありません。くるしい。仕事を終えて部屋に戻ったらだいぶよくなったけれど、それにしたってこの痛みは普段の8割増しくらいきついような気がします。どうしちゃったんだろう。

しかし。よくよく考えてみると、病人が周囲に対してやけに殊勝な態度をとったり気味悪いほどやさしくなったりする本当の理由というのはこういうことなのであって、看病してもらってる負い目なんかじゃないのかもしれないですね。本来の気力・体力があれば「もうちょい気ぃ利かせろやボケ!」などと思うような場面でも、余裕の無さゆえ「すまないねぇ・・・」などと弱気になったりして。ということはつまり、毒づく元気があるひとに対してはそんなに手厚く看護しなくて大丈夫なのかも、って気になるよなぁ。「あんた大して辛そうでもないじゃない」という理由で。ならばそれを逆手に取って、あくまで自分に尽くさせるため、わざとしおらしく振る舞うという手段もあるわけで。難しいなぁ。結局のところ、多少体調がすぐれなくても無理して強気な姿勢を貫こうとする人がいちばん健気であるように思えてきました。そんなわけで、大して辛くもない(≠少なくとも生死にはまったく関わりのない)苦痛ごときにあれこれ不平を並べ立てている自分の器がいちばん小さい、というのは疑いようのない事実みたいです。それはともかく、この週末で事態が好転しないようなら、いよいよ骨接ぎにでも行ってみるべきなのかなぁ。悩むわー。今夜はこれから相方が帰ってくる予定なのでまだしばらく眠れませんが、ひとまずおやすみなさい。