almost everyday.

its a matter of taste, yeah

No monster in me

東京スカパラダイスオーケストラ"Perfect Future"の初回限定盤のライブがあまりにすばらしいので、朝から泣きながら出勤。みっともない。
うちのおとうやんは昔から一貫して「きれいごとを言わないひと」で、姉やわたしがまだ幼い頃から「それを言っちゃあおしまいでしょうに」とつっこみたくなるよな本音と建前をそのままスコンと話して聞かせた後でぺろりと舌を出して笑うような、実にさばさばした父なのですが。その父が、今からもう20年以上前に冗談交じりに話したことをなんとなく唐突に思い出しました。
「人を殺した奴は、四の五の言わずにみんな死んで謝ればいい」というのは、裏を返せば「自分が死んでも構わないくらい憎らしい、そういう覚悟がないんだったら割に合わないことはやめとけ」という意味なのだろう。と今なら察しがつきます。それに照らし合わせて言うなら、自分勝手な理由で何の罪もないひとを殺してしまうような輩は死んで当然、ということになる、はずなのに。ずっとそう思ってきたし、それは今でも変わらないのに。今はなんだか「だけどそんな輩にだって、死んだら悲しむひとがいるかもしれない」というようなことをも考えてしまうのです。こんなことは今までなかった。もしも自分の大切なひとが理不尽な理由で命を奪われたとしたら、次にはきっと自分がそいつを殺してしまう。としか思えなかったのに。死ぬとか生きるとかそんなんばっかり考えてるとだんだんそういうところが揺らいできたりするものなんだろうか。しばらく前に読んで、どうしてもうまく理解できなかった「アフターダーク」のあのくだりが、今ならわかるかもしれない。と思いました。それを願っているわけではないのに。
お風呂あがりにテレビをつけたら、すばらしいタイミングでふくださんが出てきたので思わず腰を抜かしそうになりました。見てると何だかはらはらする、というよりもはやおろおろしてしまいます。あれはあれでいいのだろうか。わからないけど、できることならせめて関西弁でやらせてあげればよかったのに。という気がしてます。うーんうーん。おやすみなさい。