almost everyday.

its a matter of taste, yeah

聞かせて大歓声

今日という日を、ずいぶん前から待っていました。先月出張のため不在にしていて捨てられず、2か月ぶん溜まりに溜まった古紙ごみを捨ててすっきりするためです。夜の間に雨が降ったせいで朝まだ路面が乾いておらず「どうしたものか」と逡巡しましたが、結局えいやっと重たい束を抱えて家から集積所まで3往復して、何食わぬ顔でその場を後にしました。さっき帰ってくるときにおそるおそる現場を見たら、紙の山がきれいさっぱりなくなってたのでほっと胸をなでおろしたのち小さくガッツポーズ。資源ごみの日はできれば月に2回ほしい、と願わずにいられないのは小市民のわがままでしょうか。重いんだよ、古紙…!
それなりに恵まれた環境で働かせていただいてる、という実感はたぶん人並みにあるつもりなのですが、それでもやっぱり時には「いくらなんでもそれないだろう」「理不尽すぎやしませんか」と頭を抱えて悲嘆に暮れてしまいたくなることもあるわけで。そんな時、ほんの一瞬だけ気を紛らすことのできる方法をついこの間見つけました。どうにもこうにも怒りもしくは悲しみのやり場が見つからず「ああもうだめだ、涙でそう」って思った瞬間に、心の中でこう呟くんです。
全米が泣いた!」
タイタニックでもアルマゲドンでもなんでもいいから、いかにもそれっぽいハリウッド的感動巨編の予告編をイメージしてドラマチックに呟くのがコツです。うまくいけば、出かかった涙もひっこみます。なんだかほどよくバカバカしくて。ちなみに自分は、先日仕事で本当に行き詰まった際に突然なんの前触れもなくこれが降ってきて、以後数分間含み笑いが止まらなくなりました。何なんだろう。どうしてそんなことを思いついたんだろう、あんなにせっぱ詰まってたときに。そして、予告編にありがちな煽り文句は他にもいろいろたくさんあるのに、たとえば「日本中が涙した」とかそういうのではどうもいまいち笑えない気がするのはどうしてだろう。もっとも収まりがいいのはやっぱり「全米が泣いた」なんです。「全米」っていうスケールのでかさと自分の抱えてる問題の矮小さとのアホみたいな対比が笑いを誘うんでしょうか。わからない。BBBB、見に行きたかったな。おつかれ自分。おやすみなさい。