その瞬間。
わたしは3階の職場にいて、10階の同業者と内線で話をしていました。その電話の向こうから、それと隣席の同僚の胸ポケットから一斉に緊急地震速報の音が聞こえると同時に揺れがきて「これは」「はい」「だいぶ大きいね」「ええ」「それじゃいったん切るよ」「ではまた後で」と受話器を置いた瞬間に、あのとんでもない大揺れが来たのです。慌てて机の下に潜ろうとした時、頭にぽつりと何か小さなものが落ちてきました。それは、天井に埋め込まれていた釘でした。
血の気が引いた。
揺れは永遠に続くかと思われるほど長く、大きく、無表情に機械的にただ延々と続きました。湯飲みの割れる音が聞こえます。ファイルや書類の崩れ落ちる音が聞こえます。天井が崩れて、白い細かい粉がさらさらこぼれてきます。床に亀裂が走っています。「これは」「崩れる」「生き埋めになる」と、断片的にそう思いました。死を覚悟した。
ほどなくして外へ避難し、揺れが収まった後も職場へ戻ることは許されず、着のみ着のまま吹きすさぶ風と雪の中で待つこと3時間あまり。すっかり日が落ちた頃になってようやく解散、上着と持ち物だけを取りに戻ってようやく帰途につきました。とは言え、新幹線が動かないどころか駅も閉鎖されています。携帯電話は何も発せず何も受信できてないのに、電池がほとんど切れかけていました。タクシー乗り場も公衆電話も長蛇の列です。そこで、かつて通学に使っていたちいさな電車乗り場の公衆電話に立ち寄ってみると、そこだけは奇跡的に人が並んでいませんでした。姉の家の固定電話に繋いでまずは状況を説明、ひとまず今夜はそちらへ泊めていただくことに。携帯電話はどこも軒並み繋がりません。夫は無事なのか。
歩くこと30分、姉の家へ。その道中、街の様子が次第に分かってきました。明かりはすべて落ちています。至るところで壁が崩れ、ガラスが割れています。信号は着いているところもあるけど大半が機能していません。大渋滞です。陸橋の下は冠水、車が一台そこに沈んでいるのが見えました。震えが止まらないのはきっと寒さのせいだけじゃない。
姉の家ではろうそくを灯しラジオに耳を傾け、卓上コンロで沸かしたお湯でカップ麺を食べました。仙台では若林区まで津波が届いたみたいです。ようやく繋がった最初の電話は夫の勤務先で、被害の大きそうなエリアから順に一時帰宅しているところだと告げられました。「本人は無事です、生きてます」という言葉の重さから、仙台市内の被害の大きさが推しはかられて言葉を失いました。