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almost everyday.

its a matter of taste, yeah

「福島県」と「フクシマ」のはざまで

昨夜から今日にかけて、「福島県」を「フクシマ」と呼ぶことに疑問を投げかける文章をいくつか拝読しました。具体的には、福島県を例の事故のイメージありきでひとくくりに「フクシマ」って呼び続けるのはそろそろアレじゃない?福島県ってめちゃくちゃ広いよ?北海道・岩手に次いで全国3位よ?東京都なら6つ分だよ?といった内容です。 このエントリは、そうした文章の補足になればと思い書き始めるに至りました。

確かに、実際、福島県は広いです。ものすごく広い。広いだけならまだいいのですが、ざっくり3つに気候・文化・経済圏域すべてが違ってたりもします。というのも、現在の福島県はかつて別々の自治体だったのです。1876年に若松県(会津)と旧福島県(中通り)と磐前県(浜通り)を寄せて集めて成立したのが現在の福島県で、画像検索結果を見ればその境目は一目瞭然。細長い行政単位が川の字に3つ並んだような格好をしております。

これらを踏まえて、それぞれの地域特色をこれまたざっくりご説明してみましょう。すると大体こんな感じになります。

すごいでしょう。びっくりでしょう。まさかここまではっきりくっきり分かれてるなんて、きっとご存知なかったでしょう、特に東北以外の地域にお住まいの皆様は。

そうなんです。生まれ育ったりあるいは途中で越してきたり、何らかのご縁があれば皆さん概ねご存知なんです。福島県がかようにおそろしくだだっ広く、その上3つの地域特色を抱えていることを。そういう方は「フクシマ」以前の問題としてまず、これらの地域をひっくるめて語ろうとする行為そのものに幾ばくかの心理的抵抗感を抱いているように感じます。「よそと一緒にすんなや」と言うよりは「実際、ハナから別物だべしよー」という感じで。

ここで唐突にわたし自身の置かれた状況を整理しておくと、生まれも育ちも福島県(中通り)で現在はおとなりの宮城県在住、かつ福島県内の職場に勤務しております。これは震災当時も今も変わらず、交通網が復旧するまでは職場近くのきょうだい宅に身を寄せていました。伴侶は同じ福島県(浜通り)出身で、わたしが当地へ出向していた15年ほど前からの付き合いです。

よって、わたしは、中通りに生まれ浜通りにご縁を得た一方、会津についてはごく一般的な知識しか持たず土地勘もないまま現在に至っています。このため、会津を「同じ福島県=我がふるさと」と呼ぶにはどうも居心地が悪く及び腰になってしまうのです。住んだこともないのに、毎朝雪かきする苦労も知らないのに、そんなんで会津を地元よばわりするのは憚られる。おこがましい。そんなふうに思うんです。

これが仮に会津で生まれ育った人ならば「いわきって雪降らないの?スタッドレスタイヤ持ってないの?マジで?別世界すぎて同じ県とは思えねえ」みたいな感覚が多少なりともあるんだろうなと思います。要は、見て触れて生きてきた環境があまりに違いすぎるのです。

また、わたし個人としては、震災で家や家族を失った人にも同様の感情を抱いています。たかだかひと月家に帰れなかったくらいで被災者を名乗るのはおこがましい。そういう気持ちは未だに消える気配がないし、消してはならないとも思うし、事故がらみの区別と差別をはき違えぬよう肝に銘じてもいます。

翻って「フクシマ」という呼称は、全く異なる特色を持つ3つの地域を、被災者もそうでない人もいっしょくたにしてがんじがらめに縛り上げ、見下し、哀れみ、焼きごてのようにむごたらしく一方的に負のイメージを刻みつけました。福島県は無力でした。そして今も無力です。どんなに泣いて懇願しても、事実は違うと憤っても、強烈すぎる負のイメージを前に屈さざるを得ないのが現状です。とても悲しく、そしてとても悔しいです。生まれ育った場所を誰かに貶められたら、そこが好きなら、きっと誰でも腹を立てるでしょう。そういう空気を国内どころか世界規模にまで蔓延させたのが「フクシマ」であり「FUKUSHIMA」なのです。ねえ、それ、分かってる?本当に?

もしも。仮に万が一、あの施設に「福島」の二文字が含まれていなかったら。もっと狭いエリアを示す地名を冠していたならば、現在の状況も少しは違っていたでしょう。地元としても、あれらの施設を足がかりに町や地域、ひいては県全体の名を全国に広めたい。そうした色気を多少なりとも持っていたのだと思います。しかし、仮にその名が違っていれば、より狭い地域により密度の高い憐れみが集中していたであろうことは火を見るよりも明らかです。大きなクソと小さなクソ、どっちがマシか今さら考えてみたところで結局クソはクソ。何の解決にもなりません。

かつて昭和の人気コメディアンだったトニー谷は、子供が誘拐された際にそれまでの芸風をかなぐり捨て、なりふり構わず嘆き悲しみカメラの前で涙を見せた結果、子供が無事保護された後にたちまち凋落したといいます。また、近年では、生活保護問題で大バッシングを受けた芸人を見かける機会も激減したままです。これらのことは、当事者の非の有無や大小を問わず、強烈な負のイメージの払拭がいかに困難であるかを推し量る証左であるように思えてなりません。

それでは、これから、福島県に何ができるか。それをずっと考えています。答えは出ません。

これで終わりじゃいくらなんでもあんまりなので、草の根的な話をひとつ。よくある安手の美談として、札付きのヤンキーが気まぐれに掃除を手伝ったり雨の日に子猫を拾ったりするとギャップの凄さに評価がぐわっと一気に上がる、みたいな話がありますよね。ああいう感じのV字回復は難しいにしても、負のイメージを裏切り続けていくのは地味に有効じゃないかしら、と考えることがあります。哀れまれるとか見下されるとかずっと不幸でいてほしいとか、そういう空気は変えようがない。ならばこっちが違う姿を見せていく、見せ続けるのが急がば回れになるんじゃないかと。

強烈な負のイメージの対極にあるのは、派手できらびやかで分かりやすくキャッチーな復興(あるのかそんなもん)よりも淡々と過ごす穏やかな日常じゃないかと思うのです。もしかしたら福島県のこと、草も生えない世界の終わりみたいに思われてるかもしれませんね。ここだけの話、実際のところ、ふつうに住んでるし食べてるし働いてるし育ててるし笑ってるし退屈してるし遊んでますよ。がんばるところはがんばってる、それは当然のこととして、淡々と消費する日常もあるんですよ。あなたの住む町とそんなに大きく変わらないですよ、きっと。現地周辺を除いては。

そういう感じが当たり前とは行かないまでもまあまあ普通になるように、身近な人に少しずつでも「ぼちぼちやってるよ」「元気だよ」って伝え続けたら、それを大人数で続けていけたら、少しは見る目も変わらないかな。変わるといいな、と願っています。地味でシャイで影が薄くて、対外的なアピールが下手で奥ゆかしい福島県人のひとりとして。