almost everyday.

its a matter of taste, yeah

しあわせになりたいけど

頑張りたくなーい♪っていう清志郎さんのCM。あれを見てムッとするかほっこりするかで、人はざっくり二種類に分けられるのではないかしら。などと考えたりしております。わたしの場合、普段はまず間違いなく後者なんですが、忙しすぎて仕事ハイになってる時および来し方行く末を考えてプチ鬱に入ってる時(まあ、要するにせーり前)に限り、前者の兆候がちらほら出てきてしまう模様。いい加減だな、我ながら。もしかしたら閉経後には、少しくらい穏やかな人柄になれるのでしょうか。いや、それはないよなぁ。うちのママン、かれこれ既に10年くらい「更年期なのーしんどいのー助けてあたし起きらんなーい」って言い続けてるし。ないた赤おにみたいな顔して。

結局のところ、こうした諸々はすべて生まれ持った性質あるいは体質次第ってことなんでしょうか。四六時中しとやかでおだやかでほがらかな笑みを浮かべていられるひとというのは、わたしみたいな気分屋からすればそれだけでもうとんでもなくすばらしい才能をお持ちなのだ、というふうに思えてしかたありません。尊敬しますよOさん、心底。次に生まれてくるときは、ぜひともあなたのような素敵な人柄を身につけていたいものです。まあ今のところはとりあえず、この身体と頭と心とどうにか折り合いをつけていくより他にないけれど。

このごろようやく、頭が悪く要領も悪く世渡りだって上手いとは言えそうにない自分というのを、客観的に淡々と受け入れられるようになってきた気がします。遅いなおい。それでも一応、自分の凡庸さやもっさり具合はわりと昔から(さすがに、というべきか)熟知していたつもりでいるのですが。だってなぁ。努力や我慢や金や体力でどうにかできることなんて、本当に本当にほんの少ししかないんですもの。これはあきらめとか愚痴とか冷めた視線とかしらけた気分とかそういうんじゃなくて、ただただ単純に思うこと。つくづく、日々、ままならないことばかりです。できることならせめてその、ままならなさにあたふたしつつも、少しでも多くの時間を穏やかな気持ちで過ごしていけたらいいなと願うばかり。これは、ひとつの理想として。

変に頭が痛むのは、慣れない眼鏡を一日ずっとかけっぱなしにしていたせいかしら。そういえばさっき、仕事帰りに市場でキャベツを買ったらば、まだ朝露がきらきらと滴ってるようなすばらしいみずみずしさに思わず口元がゆるんでしまいましたよ。洗ったまんまでまるごとざくざくかじりたいようなうつくしさです。これは生で食べなくちゃなぁ。たのしみ。それではおやすみなさい。